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奥三河パワートレイル準備編

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三河パワートレイル、70km、完走しました。9時間54分。10時間切れました。レースで完走した最長距離を更新です。
今回ちゃんと完走できたのは、本番がどうこう、という前に、そこに至るまでの経緯、肉体的な準備と、精神的な準備がほとんどだったと思う。まずはそこから振り返りたい。

壁を抜ける

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3月21日に、三重県まで100km走り通すことができ、自分の中で何か、「壁を向こう側に抜けた」感覚があった。
実際に、未知の距離を走り通せたわけだし、初めて夜を越えて走ったので、物理的な距離的にも、時間的にも、壁を越えられたわけだけど、それに加えて、何か、精神的な壁を一枚抜けた感覚があった。
その感覚は、走り終わった直後の時点で、すでにぼんやりと感じていたわけだけど、日が経つにつれて、だんだんそのことが、自分の中でより明確に認識できるようになっていった。
なんとなく「何かを抜けた気がする」と感じてはいたが、その後いろいろなことが少しずつ変化していることに気付くにつけ、「ああ、やっぱりあそこで何かが変わり始めたんだな」と明確に思うようになった。
それは走り方や、山との付き合い方だけではなくて、仕事やプライベートを含む、普段の生活にも広がる変化である。

そんなに大きな変化が、たった1日走っただけで訪れるのか、と言われれば、決してそれだけが要因では無いと思う。それもまた、そこに至るまでの長い経緯があり、大きなバケツに少しずつ水が溜まってきていたものが、その瞬間についに満タンになって溢れ出た、というタイミングだっただけとも言えるだろう。
ただ、象徴的な出来事として、100kmがあったし、そこで感じたことが、大きく影響していることもまた事実である。

比叡山

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100kmを走った次の週末、二宮さんを誘って比叡山に走りに行った。実は、2人で走りに行くのはまだ2回目である。同じ会社で仕事をしていて、レースもしょっちゅう一緒に出ているが、2人だけで走ったことは実はそれほど多くない。そもそも僕が、普段から一人で走ることが多いし、時間も走りたい時に気ままに走る、という格好なので、自分から約束を取り付けて走りに行く、ということが少ない。

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ところが今回、三重まで4人で走り、「仲間と走るのも良いな、また誰かと走りに行きたいな」と思った。山から学べることはたくさんあるが、人から学べることも多い。「久しぶりに誰かを誘ってみよう」と思いたち、それで二宮さんと走りに行くことになったのだ。

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銀閣寺で待ち合わせて、比叡アルプスに入り、比叡山トレイルランのコースを坂本まで下り、また延暦寺に登り返す。三重まで行った時の話や、二宮さんの100マイルレースへの挑戦の話、仕事の話など、たくさん話した。二宮さんに前に行ってもらい、僕は後ろからついていく。後ろからついていきながら、あれこれ話しかける。坂本から延暦寺までの登りは、ほとんどずっと話していたけど、それでも二宮さんはベストタイムだったらしい。

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朝方に降った雪の残る大比叡を経由して(これが今年最後の京都の雪だった)、雲母坂を下っていく。二宮さんは午後から用事があるということで、このまま北白川に抜けて帰るというが、僕はもう少し距離を走りたかったので、水飲対陣で別れて松尾坂でも登り返そうか、と思っていた。そう思って下っていると、前からトレイルランナーが2人、駆け上ってきた。一人は女性で、一人は男性だ。

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よくよく見てみると、丹羽薫さんだった。これは驚いた。「あれー!」と、お互い声を上げた。
確かに丹羽さんも京都だし、どこかで会うこともあるかもしれない、と思ってはいたけど、少なくともこれまでは一度も山で出会ったことは無かった。
それが、一緒に三重まで走ってから10日ぶりに山に走りに来たら、また会ってしまった。なんなんだろうか。

最近、日立製作所の矢野さんという方が書かれた、『データの見えざる手』という興味深い本を読んだ。ここに面白いことが書いてあって、「人と人が再会する確率は、経過時間に反比例して減少していく」そうだ。つまり、ある人と20日後に再会する確率は、10日後に再会する確率に比べて半分になるし、50日後に合う確率は5分の1になるというのだ。

正直なところ、この法則は直感に反している。だって、誰かと誰かが出会う確率なんて、お互いがランダムに動いているものが、偶然に会うわけだから、時間の経過とは無関係なはずだ。ところが実際はそうではないらしい。矢野さんは、たくさんの被験者にセンサーを取り付けて、誰と誰がどういうタイミングで出会うかというデータをのべ100万日分集めて、この法則を見出したそうである。

この話は、「ほんまかいな」と疑う気持ちの一方で、ちょっと、「そういうこともあるかもな」と信じてみたくなるような話でもある。実際には、「出会うときにはなぜかよく会う」という体験はあるものだし、単なる偶然ではないように感じることだってある。お互いに離れていても、よく会う時期というのは、「同じようなことに取り組んでいる」とか、何か出会う確率が高いモードに入っているのかもしれない。

とまあ、そういう本を読んでいたこともあって、この時は「これか!」と思った。「これが矢野の法則か!」と。これまで山の中で一度も丹羽さんに会ったことは無かったのに、一緒に走った次の週にまた出会ってしまったのだ。

これはもう、ついていくしかないな、ということで(笑)、二宮さんに別れを告げて、今度は丹羽さんについていくことにした。もともと、そろそろ別ルートに別れようとしていたところだった。

丹羽さんは木下(英次)さんと一緒に自宅から往復50kmほどを走っていて、比叡山の上まで行って折り返すとのこと。そこで、今降りてきた道を、再び登り始めた。再会できた嬉しさで、小走りで登りながらも、100km走ったその後のことなど、あれこれと丹羽さんと話し始めた。しばらく行くと、木下さんが「私はこのあたりで折り返します」と仰って、戻っていってしまった。確かに少ししんどそうにされていたけど、もう折り返し地点は目の前。いきなり2人で話しすぎただろうか、と少し申し訳なく思った。

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それで2人になり、ケーブル比叡の駅まで上って、そこで折り返し、来た道を戻り始めた。丹羽さんは伏見の自宅まで戻るという。僕は最初は北白川で終わる予定だったけど、まあこの際、最後までついていっても良いかな、という気持ちになってきた。とりあえずついていけるところまで行ってみよう。

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比叡山を下り、大文字に登り始める。前回の三重行きは4人だったし、僕が遅れることが多かったので、実はそれほどたくさん2人で話せたわけでは無かったが、今回は2人だったこともあり、たくさん話しながら登った。朝から走った距離は、もう30kmを越えていて、これまでならすっかり疲れて、足も痛いし、そろそろ終わりにしよう、と思うような距離だったけど、話をしながら、あまり疲れとか足の痛みとかを気にしすぎず、ついていった。

そう。三重まで走って、何が一番変わったのかというと、そういうところだと思う。確かに足は痛い。身体は疲れている。そのことについて考えようと思えば、どれだけでも考えることが出来る。「痛い痛い」「しんどいしんどい」「そろそろ終わりにしたほうが良いんじゃないか」云々。

だけど結局、「行けると思えば行ける」のだ。それはそれとして、置いておいて、前に進む。なんなら、楽しいおしゃべりをしながら。身体の痛みや疲れは感じるけれども、それについてあまり深く考えすぎない。「行くんだ」と思うこと。

言ってみれば、「自己愛との決別」みたいなことである。いや、決別などできてはいない。そもそも、こんなブログを書いている時点で、どう考えても自分が好きなのである。だから、程度問題ではあるんだけど、ある一定以上の深さの自己愛を捨てる、ということなのではないか。

「痛い痛い」「しんどいしんどい」「もうやめたい」という考えを膨らませていくのは、ある種のナルシシズムなのではないか。自分が好きで、自分が大切であるがために、自分に優しくしてあげたい、これだけ辛い思いをしているのだから、諦めても良いはずだ、という自分への優しさ。その想いを募らせていく行為なのではないか。

いや、本当に怪我をしているとか、骨にヒビが入っているとか(実際去年の7月に起こったことだ)、体力の限界を超えていて真っすぐ歩けないとかであれば、すぐさま走るのはやめた方が良い。危険だ。しかし僕の場合、そのもっと手前で、「痛い」「しんどい」「やめたほうが良いんじゃないか」と考えていたわけである。

丹羽さんに「行けると思えばいけますよ」と言われ、行ってみたらその通り行けてしまった、という体験が僕にもたらしたのは、本当の限界の随分手前で、あれこれ考えていた自分の客観視であったし、その考えというのはどこから来るかと言えば、自分が好きだ、というようなところに、落ち着かざるをえないのではないか。それが、壁を抜けた感覚について、考えを巡らせた上で、僕がたどり着いた一つの結論だった。

そういうことが、一旦客観的に見えてしまうと、急につまらなく思えてくる。なんだ、そんなことだったか、と。本人的には必死なんだろうけど、思ってるほど大したことじゃない。まあ、行けるよ、進もうや、という。まさにそういう言葉をかけてくれた丹羽さんの気持ちが、だんだん分かる気がしてきた。

そんな経緯があり、大文字も、将軍塚も、楽しくしゃべりながら進んでいった。身体は疲れてきているけど、そんなのはこの距離を走れば当たり前のことである。丹羽さんだって、疲れているに違いない。自分だけに特別なことでもない。

将軍塚を登っていると、前から木下ゆかりさんが下りてきた。英次さんより遅れて、後ろからスタートして迎えに来られたらしい。木下さんは、僕たちに出会うと、くるんと折り返し、先頭を引き始めた。ここで急にペースが上がる。まだまだフレッシュな足で、上りを軽快に走っていく。「うわー、これはまた、大変なことになってきたな」と思っていると、丹羽さんが「ゆかりちゃんのおかげで追い込めるわー」などと話している。どんだけ。。笑

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なんとかついていって、結局丹羽さんの家まで走った。そこにいらっしゃった皆さんとお話しながら休憩させてもらい、それからまた家まで走って帰った。全部で50kmほどの道のりだった。

身体も心も、長い距離に少し慣れてきた。以前は、練習だとせいぜい30kmまでだったけど、感覚が変わってきた。50kmは短くはないけれど、走れるな、という感覚ができてきた。奥三河は70kmで、これまで出たレースで一番長いけど、少なくとも完走はできる気がしてきた。

Kyoto Mount Chopコースをたどる

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二宮さんと丹羽さんと走った翌週、また丹羽さんの練習に付き合わせて頂くことにした。丹羽さんは中国の100kmレースに向けた走り込みの時期で、福田さんと一緒にMount Chopのコースを走るという。僕も奥三河に向けて走り込みたい時期だったし、この際とことん行ってみよう、と、ご一緒させていただくことにした。

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福田さんとは、昨年春のMount Chopで一緒に走ったことがある。序盤からずっと後ろにつかせて頂いて、大原の手前で置いていかれるまで、結構な距離を一緒に走らせて頂いた。その時は、終盤にもう一度僕が追い越すことができたけど、5月の比叡山では僕より40分も速いタイムでゴールされている。丹羽さんとともに、レースでは僕よりも少し上のレベルのお二方である。

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序盤、比叡アルプスを登るところから、なかなかのハイペースで入り、うまくついていくことができない。丹羽さんも少し福田さんから離れることがあったが、僕はそこからさらに離れてついていく形になった。息が上がる。

比叡アルプスを登りきる少し手前で、石鳥居に向けて下る気持ちの良い道を走り降り、水飲対陣から一度八瀬に下る。ここから松尾坂の登り返しだ。この上りもなかなかのペースで、少し遅れて着いて行く。さすが通称「福田練」、これまでよりも少し強度が高い。

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松尾坂を登りきると、京都一周トレイル沿いに稜線を進み、横高山、水井山の激坂を越えて、大原へ抜ける。ここで僕は、あることに気が付いた。松尾坂も、横高山も激坂なのだが、一番しんどいところで、丹羽さんが話し始める。僕や福田さんに、話しかけてくる。こちらは、はあはあぜえぜえ言って、着いていくのも必死なのに、「え、ここで?」と思うようなタイミングで話しかけてくるのだ。仕方がないので(笑)、こちらも頑張って着いていきながら、話し始めるのだけど、ふと気づくと先ほどまでの苦しさを忘れている。そして、話している間にふと気づくと上りが終わっていたりする。

「あれ?これはもしや、そういう意図なのか?」と思い、丹羽さんに聞いてみると、やっぱりそうだという。しんどいところで、あえて話しかけていたのだ。そして、その効果はてきめんだった。これまで、きつい上りは、「しんどいな」「いつになったら終わるのかな」と思いながら耐え忍ぶ、という感じだったが、話していると、しんどさに頭が回らなくなり、しんどくなくなるのだ。(そんなバカな、と思うかもしれないが、まだやったことがない人はぜひ試してみて欲しい)。本当にしんどさを感じる量が減るし、ふと気づくと登りが終わっている、という感覚になる。これはすごい。結局のところ、「登りがしんどい」というのも、ある程度は頭の中で作り上げているイメージなのだろう。

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大原まで下り、そこからは焼杉山に登る。先月もMount Chopのコースをなぞろうと、一人で来た山だ。大原十名山の最後の山として残っていたので、一人で登りにきたわけだが、まさかこんなにすぐにまた来ることになるとは思わなかった。(これも矢野の法則だろうか)

焼杉山の登りも、思った以上に長い。何度もなんちゃってピークを越えて、ようやく山頂にたどり着く。そういうことならば、と、今度は僕の方から話し始めてみた。距離も後半に入り、だんだんと身体に疲れが出てくる時間帯だ。黙々と走っていると、どうしても疲れに気持ちが行ってしまう。こうなったら、話しちゃえ、と、丹羽さんとおしゃべりを始めた。

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結局ここから、翠黛山、金比羅山、瓢箪崩山、もう一度松尾坂を越えて、京都市内に戻るまで、ほとんどずっとしゃべっていた。身体は確かに疲れていたんだけど、なんだかんだと話しているうちに、京都に戻ってきてしまった。これはすごいw。ペースもまあ、そんなに遅くもなかったと思うし、2人から遅れることなく着いていくことができた。結局ずっと福田さんに先頭を引っ張ってもらい、僕は最後尾から着いていくだけだったけど、それでも足を引っ張らずには済んだ。最後は自宅まで走って帰り、この日のコースは58kmになった。

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やっぱり、だんだん長い距離に身体が慣れてきているし、これだけの距離でも丹羽さんや福田さん着いていくことができたことが自信になった。
これなら、70kmは行けそうだ。あと一回くらい長い距離を走って、本番に挑もう。

(後編につづく)

Kyoto To Mie 100K(ひつまぶしを食べに)

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丹羽薫さんから、「近藤さんのコースを走ろうと思っているんですが、一緒に走りませんか」という連絡があったのは、『RUN+TRAIL』の記事が出てしばらく経った年明けでした。
なんでも、毎年春に100kmほどの走り込みをするらしく、今回は僕が三重の実家まで走ったコースを途中まで走り、鈴鹿峠から山を降りて関宿までを通しで走る計画だとか。

それだけでも光栄なことですが、「近藤さんも一緒にどうですか」とお誘いを頂きました。
スケジュールは、3月21日(火)の昼にスタートし、夜通し走って、22日(水)にゴール。その後お風呂に入り、「初音」(うなぎで有名なお店)でひつまぶしを食べて車で帰ってくる、というものでした。
メンバーは、丹羽さんよりも速い男性の方が2,3名一緒に走ります、とのこと。

はてさて、どうしたものか。
100kmは、まだ一度で走ったことがない距離ですし、夜通し走ったこともありません。ましてや、丹羽さんたちのトレーニングのペースで自分が走り続けられるとは思えません。
(ちなみに、直近で丹羽さんと同じレースに出た「志賀高原エクストリームトレイル」では、丹羽さん(女子優勝)が7時間24分、僕が8時間56分で1時間半差。同行する佐藤さん(総合4位)に至っては、6時間6分でほぼ3時間差の実力差。)

怪我もようやく治まって、最近は足の痛みもなくなっているとはいえ、それほど距離は走り込めていないし。「足手まといになるのではないか」、「そもそも平日だしな」、などなど、いろいろ理由をつけようとするんですけど・・・やっぱり・・・行きたい。

もう理屈じゃなくて、行きたい。
自分が好きな選手と、何時間も一緒に走れる機会なんてそうそうあるわけではないです。ましてやそれが、自分が作ったコースを辿るなんて・・・。行くしかない。

という一連の逡巡を経て、「万難を排して参加します」と返事したのは、最初のお誘いから18分後でした。(全然逡巡していない笑)
ただ、きっと足を引っ張ると思いますし、自分の体がどこまで持つか分からないので、信楽(50km)か柘植(75km)で離脱すると思いますが、それでも良ければご一緒させてください、とお返事しました。

丹羽さんからは、「ロングは途中で何があるか分かりませんから、あまり気にせず楽しんでいきましょう」というお返事。
理屈が通っているような、通っていないような…。

そういうわけで、3月21日から一晩通して、丹羽さん、竹内さん、佐藤さん(サスケさん)と僕の4人で、三重県まで走ることになりました。(もう一人、ご一緒する予定だった岩崎さんはインフルエンザのため欠席)

最近の近況はというと

最近の僕の近況はというと、大体週2回(多くて3回)くらい走っています。平日に鴨川を10kmくらい走るのが1,2回と、あとは週末にトレイルを走る、という練習量。一時期は週に4,5日はトレイルを走り、月間400kmくらい走った時期もありましたが、そのせいで疲労骨折をして数ヶ月走れず、痛い目にあいました。怪我が治ってからは、まず「足の故障をしない」ことを第一優先に据えつつ、少しずつ力を付けていく、という感じで走っています。週2回と回数は少ないですが、これまでのところ大きな故障は抱えずに走れています。

仕事をしながら趣味で走る分には、この程度が適量かな、というバランスを見出しつつある気がしているのですが、問題は、そうしたバランスの上での練習量によって作られた身体と、100kmを越えて走り通す身体(あるいは、日本の女子トップ選手についていく身体)にどの程度のギャップがあるのかよく分からない、ということです。絶対量としてはやはり、以前に比べると練習量が少ないわけで、その走り込みの量でロングトレイルをこなせるのかどうか、正直やってみないと分からない、という気持ちでした。

3月21日の本番が近づくに連れて、少しでも長距離に慣れておこうと、養老山脈を35kmほど走ったり、Mount Chopのコースを40kmほど走ったりして、いよいよ本番を迎えました。あとはもう、行けるところまで行ってみようじゃありませんか。

いよいよスタート

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スタートとなる3月21日は、雨でした。しばらく晴天が続いていたのに、この日は久しぶりの本格的な雨が未明から降っていました。当初11時だったスタート時間を13時に遅らせたものの、出町柳駅に降り立ってみると依然雨。

こういう時に、どの程度の装備を着込むのが正解なのか、今ひとつ分かっておらず、いつもの長袖のランニングシャツの上に、ウィンドブレーカー、下はランニング用の長ズボン、それに、足だけ濡れないように防水靴下、という格好にしてみました。

京阪電車を降りた丹羽さんたちが現れると、皆さんカッパ(レインウェア?)を着ていらっしゃる。そうか、やっぱりカッパは着るものなのか。一応僕も軽いカッパは持っていましたが、それほど高い山でもないし、すぐに暑くなるだろうと思ってそのままウィンドブレーカーだけで出発することに。(このあたりの装備の選択が、あとあとじわじわ効いてくる事になります)

ところで当日は、前述のように随分しっかり雨が降っていたので、僕の気持ち的には「この天気の中出発するのか」と、少し低めのテンションだったわけですが、現れた丹羽さん、竹内さん、佐藤さんの3人は皆さんハツラツとしていて、「こういう天気だと雨用の装備もチェックできて良いですね〜」なんて言って、楽しみでしょうがない、という面持ち。もうこの時点で、マインドが違うな、と痛感しました。もうね、最初から心の天気が違う。心が晴れてるんです。カラッと晴れてるよ、この人たち。どんよりしてる場合じゃないな、と。

距離が100kmもあるので、僕の作戦はもう「絶対に飛ばさない」ということでした。無理にペースを上げてつぶれることだけは避けたいので、何が何でもゆっくり行ってやろう、と(笑)。だから、最初の大文字は「絶対に歩く」と決めていました。

入りは重要ですよね。もちろん、こんな素敵な皆さんと走れるのは楽しくてしょうがないですから、ついていきたくなるに決まっているんですが、そこはついていきませんよ、と。申し訳ないですけど、僕は僕のペースで行かせていただきます、という所信表明のような。それが僕の「大文字は歩く」作戦でした。逆にまあ、そういうことをイメージして臨むくらいに、僕なりにはこの日に向けて気持ちを高めてきたわけでもあります。

出町柳駅を出発しても、まずはのんびりジョギング、くらいのペースで、自己紹介などをしながら走り始めました。「ゆっくり行きましょうね」と丹羽さんも仰って、ちょっとほっとしました。

銀閣寺を通り過ぎ、大文字山に入ると、めちゃくちゃ速い、というわけではないのですが、丹羽さんと竹内さんは走り続けます。やっぱり走るんですね。そりゃそうですよね。丹羽さんなんて、160km走り続ける方ですもんね。最初から歩くわけがないです。大丈夫です、想定通りです。そう思ってました。でも僕は歩きます。歩かせていただきます。

そう思って、いよいよ歩こうか、というタイミングでなんと、僕より先にサスケさんが歩き始めました。「お!仲間が!」。
正直、こんな最初から歩くのは僕だけだろうと思っていましたので、これはちょっとうれしかったです。聞いてみると、あまりペースが上がりすぎないように、今日は僕は抑え役です、とのこと。以前に熊野古道を走った時に、序盤にペースを上げすぎて、途中で離脱を余儀なくされた方がいらっしゃったことがあり、どうやら僕のためにサスケさんがブレーキ役をかって出てくれたようでした。ありがたし。。

丹羽さんと竹内さんも、小刻みなステップで走り続けてはいるものの、視界から消えるほどの差は開かない程度のペースで走られていて、これならまあ、ひとまず「一緒に走った」と言える程度にはついていけるのかな、とほっとしました。(実際の話、序盤から猛スピードで進んでいってあっという間に置いていかれてしまったら、すぐに心が折れて、25kmの大津くらいでリタイア、という展開もあり得るんじゃないかと思ってました)

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そんな具合で、無理もせず、めちゃくちゃ差が開きもせず、最初の大文字山に上りました。ここからは、裏大文字を通って、音羽山を抜け、大津に向かうトレイルが続きます。このルート、そもそも最初に僕が知ったのは、『TRAIL RUN』誌で丹羽さんが紹介されていたからでした。その時に掲載されていたのは、伏見稲荷から稲荷山を越え、醍醐から音羽山、大文字へと至るコースでした。そのコースを、醍醐駅から走ってみたのが、僕がこのコースを走った最初だったわけで、その丹羽さんと、しかも僕が道案内のような形で、こうして裏大文字に入れるというのもまた、なかなか感慨深いものがあります。

裏大文字から如意ヶ岳を抜けて小関越えに至るルートは、まっすぐ行くと途中で舗装道路に出てしまいますが、南斜面をトラバース気味に走っていくと、途中ダートの林道をはさみつつ、ずっと未舗装路で行けます。そちらのルートは皆さんご存じなく、「へえ、こんな道があるんですね」と言って頂きながら案内ができたので、ひとまず満足。

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小関越えを通過し、逢坂山から鋭角コーナーを2回ほど曲がる分岐で、先頭の丹羽さんが迷わず直進。え!?「丹羽さん、そこ左です!」「そこ右です!」と慌てて後ろから2回ほど呼び止めました。「いやあ、近藤さんにいてもらって良かったですよ〜」と仰るので、「あのー、そもそもこのルート、丹羽さんに教えて頂いて知ったんですけど・・・」と言うと、「ああ、そうですよね(笑)」みたいなことになっておかしかったです。(一応弁護しておきますと(笑)、丹羽さんは逢坂の関の歩道が台風で壊れてから、ずっと来られていなかったそうです)

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この頃になると、雨もやんできて、琵琶湖の景色も見えました。このまま天気予報通り、やんでくれるのかな、と思ってたんですが・・・。

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逢坂の関でトイレ休憩したり、蝉丸神社に寄って百人一首の知識比べをしたりして、次は音羽山。そこから千頭山を越え、大津に降りたところで最初のトレイル区間が終了。コンビニに入って休憩です。ここまで約25km。4時間走って17時。

前回三重に向かった時は、朝5時に出発したので、ここではまだ午前中だったのですが、今回は午後出発ですでに夕暮れが迫ってきました。いよいよ夜に入っていきます。丹羽さんはアンダーウェアを着替えて夜に備えられていました。それを見習って、予備のアンダーウェアに着替え。序盤の雨で上半身のウェアがまだ濡れていたので、それでもコンビニから出ると寒い寒い。一度止まると急激に冷えます。

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ヘッドライトを点けて、湖南アルプス笹間ヶ岳、矢筈ヶ岳へと入っていきます。笹間ヶ岳山頂の岩に登ると、大津方面の景色が望めますが、この時点ですでに日は沈み、夜に。大津の夜景を眺めました。数日前に神戸に行かれていた丹羽さんが、「神戸の夜景に比べると見劣りするなあ」と仰ってましたが、まあそりゃそうですね。

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これまで、数時間のナイトランはしたことがありますが、夜通し走るのは初めて。実際のところ、夜通し走るのってどうなんですか。やっぱり長いんですか?と、経験豊富な皆さんに聞いてみると、「うーん、どうでしょう、長いんですかねえ」「意外と短い気がします」と意外な答えが。そういうものなのか。

たまに深夜の変な時間に目が覚めてしまった時なんて、なかなか眠れずに布団の中でうんうんと考え事などをしていると、永遠とも思えるような時間の長さを感じることがあるのですが。あれを考えたら、一晩ずっとなんて、もうほんとに、永遠を5倍したくらい長いんじゃないか、という気もしていたんですが。意外と短い、なんて、実際どういう感じなんだろう、と、少し楽しみになってきました。

それから、丹羽さんはこの辺からもう「眠くなってきちゃった」と言っていて、「私は睡魔との戦いです」とのこと。(ちょっと早すぎないですか?笑)その辺も気になるところ。眠くなるんだろか、ならないんだろうか。ちなみに僕は徹夜というものをしたことがほとんどなくて、受験勉強をしていた時も毎日8時間は眠っていましたし、ネットベンチャーを起業してがむしゃらに働いていた時も(過去形になっちゃってますが、今もちゃんと働いていますよw)、睡眠は8時間くらい取っていました。徹夜したことはないです。そんななので、そもそも徹夜したら自分の体がどうなるのかも知りません。(そういえば、学生の時に一度(いや2度だ)、24時間自転車で峠を登り続ける、という企画を考えてチャレンジをしてみたことがありますが、その時は特に眠くはならなかったので、なんとかなるような気もします)

南アルプスはあまり標高差もなく、トレイルラン向きの山です。笹間ヶ岳のピークを超えたあとは、なだらかな道を順調に進み、太神山不動寺に到着。人影もなく(昼間でもあまり人がいないと思いますが、夜であればなおのこと)、静かな山の中を、ライト一つで走る。前を行く3人から上りで少し遅れながら、暗闇の中を走る。歩く。なにかこう、ヘッドライトの灯りに照らされた方向に、意識がしゅうっと収斂していくような、集中。他には何も見えない中、もくもくと前に進んでいく。心地の良い孤独と集中。そういう時間帯でした。

そう言えばライトですが、今回僕はペツルの小型ヘッドライト(単4電池3本)で臨みましたが、皆さんは腰ライトとヘッドライトの併用をされていて、腰ライトの明るいこと明るいこと。照射角も広くて、随分走りやすそうでした。というか、他の3人の近くにいると、自分のヘッドライトがどこを照らしているのかわからないくらい暗くて、自分のライトというよりは、他の方のライトで走っていた感じがあります。ゆっくりなら暗めでもなんとかなりますが、スピードを出そうと思うとやはりあれくらいは欲しいのかな、と感じました。

そもそも今回は、他の装備も総じて、かなり切り詰めていったので、大体スペック的に皆さんに見劣りする感じでした。ライトは暗いの1つだけだし、水は1リットル(500mlフラスク2本)しか持ってないし(最悪川の水でも飲もうと思っていました)、着替えも最低限、カッパも軽量カッパの上だけ、など。少しでも軽くしないとついていけないだろうと思ったからで、それはそれで正解だったと思いますが、やっぱりちょっと心許ない感じはありました。(一人で走り抜くレースだともう少し装備がいると思いますし、そういうチャレンジに向けて、何が必要なのか良い経験になった気がします)

三筋の滝からMIHO MUSEUMの横を通り、この辺りからはずっと東海自然歩道を行きます。前回は、MIHO MUSEUMから名前のない山に入りこんだのですが、そこは途中で予定していた道がなかったため、今回は通らず。柘植までは、忠実に東海自然歩道をトレースしました。東海自然歩道と言えば、逆向きに石川弘樹さんが走られた道でもあります。

林道や舗装道もある区間で、眠くならないようにお互いに話しかけたりしながら走り続けますが、信楽に向かう林道で丹羽さんがよろよろし始めました。大丈夫かな、と思って見ていたら、何かを蹴飛ばして、「わあ、今寝てました」とのこと。まじすか。この状況で眠くなるなんて、きっとまだまだ体力的に余裕なんでしょうね。あるいは連日のイベントなどでお疲れなのでしょうか。僕の方は、眠くなってる場合じゃないです。全然眠くありません。もう必死です。いよいよ足に疲れが出てきました。段々と、自分の限界が見えてきた気がします。さてさて、どこまで行けるのか。あとどれだけ持つのか。

信楽に下りると、2つ目のコンビニ。50km地点でちょうど中間ポイントです。コンビニはここが最後。最後の食料補給です。カップラーメンにお湯を注いで、床に座り込んで食べました。そういや、前回来た時もこの床に座り込んでいたっけな。ごめんなさい、セブンイレブンのお兄さん。

コンビニを出ると、寒いったらありゃしない。びゅーびゅー冷たい風が吹き付けて、身体がかじかんでまるで走れません。とぼとぼと足を動かしてがんばって動こうとするのですが、走るというよりはロボットが不器用に歩いているみたいな動きになって、一瞬で他の3人に置いていかれます。

しばらく行くと紫香楽宮跡駅を横切ります。駅。鉄道の駅。ここで離脱すれば、電車で帰れる。まだ終電はある。ここが最後のリタイアポイントかも知れない。「ああー、鉄道の駅がありますねえ。ここからなら電車で帰れますねえ」とつぶやいてみましたが、「はいはい、何言ってるんですか」みたいな感じで丹羽さんに一蹴されます。はい、分かってます。まだ本気じゃありません。進むつもりです。

とは言え、この辺りから、だんだん他の3人から遅れることが増えてきて、お待たせしてしまうようになってきました。丹羽さんからは、「柘植までは行けそうですね」と言って頂くものの、逆にこの疲れ具合だと柘植までかなあ、という感じになってきました。どこかがものすごく痛い、というわけではないのですが、足全体に疲労感を感じます。それから、足首と膝が少し痛みます。足以外も、体全体が随分疲れてきています。まあなんというのでしょう、ひとことで言うと「走るのをやめて楽になりたい」という感覚でしょうか。早くこんなことをやめて、楽になってしまいたい、という願望。一旦、そういう発想が出てくると、それがすごく魅力的に思えてきて、「ああー、楽になりたいなあ。お風呂にでも入って、さっぱりしたシーツが敷かれたベッドにでも横になって、ごろーん、と、びよーん、と、だらあー、と、したいなあ。ビールでも飲んで、美味しいものたらふく食べて、ぐでーっと、だらーっと、したいなあ・・・」という。そういう魅惑に取り憑かれ始めるとでも言いましょうか。

こういうモードに入ると、全然スピードも出ません。もう、僕の身体は、こんなに疲れているから仕方ないんだ。前の3人は僕よりもうんと強いんだから、遅れるのは仕方ないんだ。僕は疲れているんだ。ゆっくり歩いても仕方ないんだ。みたいな。

そんな感じで、すぐに置いていかれてしまい、待ってもらって追いついても、また離れて、ということを繰り返していました。そうしたら途中で一度、道を間違えて、変な谷に入ってしまい、道がなくなってしまいました。来た道を戻ることもできますが、地図をよく見ると少し先に本来のルートに戻る道があるようで、それを探して本来のルートに復帰する、という出来事がありました。まあ、それほど危機的ではありませんが、ちょっとしたアクシデントです。そうしたら、ちょっと元気になりました。アクシデントが発生して元気になるというのも、少し不謹慎な気もしますが、暗闇の中で道を探す、という出来事で、身体が「はっ」としたのか、それからしばらくは体の痛みも忘れ、少しまともに走ることができました。

ところがまた、舗装路が始まると、一気にぐでーっとしてしまいます。舗装路が嫌い。
舗装路は確かに痛いんです。特に足首が痛くなってくると、一歩一歩がつらい。それから、特に考えることがないんです。何も考えなくても走れてしまうので、逆に要らないことを考えてしまう。「足が痛いよ」とか、「舗装路嫌いだよ」とか。お風呂とかベッドとかビールとか。そんなことを考えながら走っているから、どんどん遅れていく。結局また、なんだかやる気のない生徒が、引率の先生に無理やり引っ張ってもらっているような感じで、とぼとぼと後ろから進んでいました。本当に申し訳ない。

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60kmを越え、70kmを越え、80kmの柘植までもう少し、というところまで来ました。信楽を越えてからは、「柘植で降りよう」と思って走っていました。それもあと10km、5km。ああ、ようやく終わるな、と。

これまでさんざん皆さんを待たせてきたし、最後くらいは良いとこ見せておこう、と思って、ラスト5kmくらいはちゃんと前についていこう、と思って、丹羽さんについていきました。ちょうど、平坦で走りやすいトレイルでしたし、ついていけました。あれ、ついていけるぞ。まだついていける力あったんだ。あれ、思ったより走れるやん。と。

それなら、最後に一度くらい先頭走っとこう。と。ちょっとくらい良いとこ見せて、有終の美を飾ろう。そう思って、柘植まで3kmくらいのところで先頭に出ました。そこから、割と良いペースで前を引き始めました。どうせなら格好よく走っとこう、みたいなのもあって、足は痛いけど、ちゃんとしたフォームで、シャキッと。パシっ、パシっと。本当に、走り初めのような、まだまだ元気ですよ僕、というような走り方で、先頭を走り始めました。

そうしたら、これが楽しくて楽しくて。だってまあ、もちろん皆さんに合わせていただいているわけですけども、こんな、70kmを越えたような地点で、丹羽さんをはじめとする皆さんの先頭を走ってるんですよ。それも割と良いペースで。すっかり気持ちよくなってしまって。最初は無理して、「足なんて痛くない」というフォームで走っていたんですが、だんだん本当に足の痛みが気にならなくなってきて、普通に普段フレッシュな状態で走り始めた時のような感じになってきて、身体も軽いし、「あれ?」と。自分の体がどんどん軽くなっていくことが、自分でも不思議でしょうがなくて。これ、柘植までそのまま行けるぞ、と思って、そのまま柘植(余野公園)まで走り続けました。

自分の中では、ここがゴール、と思って、心のなかで「ゴール!」と叫びながら余野公園に到着しました。やった、やり終えた!

行けると思えば、行ける?

この時、時刻は3時。午前3時です。当たり前ですが、電車は走っていません。始発が来るまで夜を明かそうにも、ちゃんとした防寒具も持っていません。その辺で留まっていたら、凍えてしまうでしょう。だから、鈴鹿山脈には入らずに、東海自然歩道を通って、ゴールに向かおうと考えました。そうすれば、険しい山を避けながら、一応自分の足で本当のゴールにたどり着けます。

丹羽さんに、「ここで降りようと思います。東海自然歩道から関町に向かいます」と伝えました。丹羽さんをはじめ、皆さんからは、「大丈夫ですよ。ペース合わせますから一緒に最後まで行きましょう。行けると思えば、行けますよ」と言って頂きました。ありがたかったですが、皆さんもトレーニングで来られているわけですし、最後くらい、僕に足を引っ張られずに、目一杯山を走り抜けたいんじゃないでしょうか。僕は僕で、「ここで降りる」と決めて走ってきたわけだし。。大体、「行けると思えば行ける」って、そんな無茶な。。。

そんな事を思いながら、ひとまず自販機でジュースを買い、水分補給の休憩に入りました。僕はすっかり「やり切った」気持ちで缶コーラを買い、地面に座ってぐびぐびと飲みました。しかし、その直後から、身体がどんどん冷えていき、震えが止まらなくなってきました。辺りはびゅーびゅーと、寒い風が吹き付けています。序盤に濡れたウェア(もちろんトレラン用の速乾アンダーとウェアですが)が身体の熱を奪い、ガタガタガタガタと口も震え始めました。寒い。。

丹羽さんは、温かいジュースを買って、公衆電話の電話ボックスに入って温もっています。さすがだ。こんなところで、いちいち身体にダメージを受けている場合じゃないな、と思って僕も電話ボックスに入れてもらい、ようやく少しましに。それでも寒気は収まりません。

「ひとまず動きましょう」。そうそう、動き続けていないと、身体が冷えてしまう。冷えてしまうと動かなくなる。とにかく動かないと。東海自然歩道と、鈴鹿山脈に入る道の分岐はもう少し先。そこまでは同じ道です。まずはそっちに走り始めましょう。

ゆっくりとまた、走り始めました。深夜3時。寒い風が吹き付ける、暗闇の中。前には鈴鹿山脈。さすけさんが心配して、「東海自然歩道はどんな道なんですか?」と聞いてくださいます。「たぶん、山を2つくらい越えて、関町に抜ける道なんです。」「それなら、こっちの山を越えるのも同じじゃないですか。」そう言ってしまえばそうなんですけどね。でもこの先の鈴鹿山脈は、かなり険しい道なんですよ。。

そんなことを考えながらも、正直自分で悩み始めていました。確かにどちらも山道だし、どうせ行くなら本来のルートを行けばいいじゃないか、という意見もごもっともです。
それから、ずっと「もう走れない」と思っていたのに、有終の美を飾ろうと少し頑張ってみたら、意外に走れてしまった。思ったよりちゃんと走れてしまって、自分でもびっくりしてます。「さっきあんなに走れていたのに、なぜリタイアするの?」

その問いは、あとあとずっと、残るだろうな、と思い始めた。「あの時、あんなに走れていたのに、なぜやめちゃったの?」って。結局、自分がやめたかったからやめたんじゃないの。本当は行けたんじゃないの、って。

「行けると思えば、行ける」という丹羽さんの言葉は、無茶なことを言うなあ、と思った。だけど案外、それが真理なのかも知れない。丹羽さんが言っていることの方が正しいのかもしれない。自分は「もう走れない」と思って、そういう走りをしていたから遅かった。だけど、「まだ走れる」と思って先頭に立ったら、ちゃんと走れた。結局、「走れる、と思えば走れた」んだ。それは事実だ。丹羽さんの言葉は、随分厳しくはあるけれど、本当のことを言っているのではないか。

行きたい。やっぱり、行きたい。

東海自然歩道との分岐が近づいてきた。僕は丹羽さんの方に寄っていき、やっぱり行きたい、と伝えようと思った。そう思って近づいていったら、丹羽さんの方から「行きましょう。」と言われた。完全に心を見透かされているような気がした。どうして自分が考えていたことが分かったんだろうか。

「はい。僕も、自分の限界を越えてみたいです」とすぐに答えた。「そうですよね。」

そうして、最後の難関、鈴鹿山脈に入っていくことになった。竹内さん、サスケさんも、「みんなでゴールしましょう」と励ましてくれた。行く。行きます。

最後の難関、鈴鹿山脈

油日岳への登りは、かなりの急登が続く。先ほどのトレイルで、力を出してしまったことも影響しているのか、なかなかスピードが出ない。何度も立ち止まって息を整えながら登って行く。山頂付近では、さらに気温が低く、雪のようなものも舞い始めた。少し待ってもらってようやく山頂に到着。ここから県境稜線の道が続く。

前回歩いた時も、あまりの険しさに閉口した道。距離の割に全然進むことができず、「もう二度と来ないだろう」と思っていたのが、この、油日岳から鈴鹿峠区間だ。その区間に、まさかこんなに早く来るなんて。しかも、こんな疲れきった身体で。

崖と言っても良いような急な登りと下りを繰り返す区間が始まり、さすがのサスケさんも慎重に下っていた。前を行く丹羽さんと竹内さんは、どんどん進み、サスケさんと僕が後ろから少し遅れてついていくような形になった。相変わらず風は強く、冷たい。もしかしたら0度近いかもしれない。ここまで道が険しくて、しかも寒いと、もはや足が痛いとか身体がつかれた、とか、考えている暇もない。目の前の急斜面を登り、下るだけで必死である。

そんな事を繰り返しているうちに、だんだん妙な充実感が身体の中から湧き上がってきた。確かに険しい道ではあるけれど、なんだかスリルのあるでかいアスレチックみたいだ。こんな道を、何人かで進むなんて、面白いな、と。次々に現れる塊をクリアしていくゲームみたいな気持ちになってきて、だんだん楽しくなってきた。

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那須ヶ原山を越えた辺りで、空が白んできた。ついに夜が明ける。確かに、夜は意外と短かったかもしれない。ここまでの道のりは、長いと言えば長かったが、時間が永遠に続くような途方に暮れる気持ちにはならなかった。夢中で走っていたら、いつの間にか朝になっていた、という感覚に近い。確かに、「意外と短い」。朝日が美しい。

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それから、一度も眠くなっていない。今のところ、眠さとは全く無縁で行動している。鈴鹿山脈に入ってからは、さすがに丹羽さんも目が覚めているようだった。

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坂下峠を越えると、溝干山への急登を登り(このあたりの登りは、すべて「急登」だ。とにかく全部「急登」だ)、大きめのピークとしては最後の高畑山に向かう。いよいよ大きなピークも最後だ、と思うと、またしても「ちょっと良いところ見せたい」という思いもあって、竹内さんよりも前に出て、丹羽さんの後ろについていった。最後の高畑山は、丹羽さんにぴったりついて登りきった。

高畑山の頂上は、一気に視界が開ける。なにか、「たどり着いた」感のある場所だ。頂上手前の、大きな岩を詰める辺りから、すでにオーラが出ている。「ここを登れば、何かが待っている」という気配に満ちている。岩を越えると、その期待を決して裏切らない、眺望が待っている。高畑山の山頂にたどり着いた瞬間に、「行けたな」と思った。ここまで来たら、あとは下るだけ。ゴールできたな、と。

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険しい鈴鹿山脈区間をクリアしつつある、という達成感と、この長い100kmの道のりを、走り通すことができそうだ、という気持ちが相まって、思わず「やったー!」と叫んだ。なんという爽快な気分だろう。山って良いなあ。やっぱり。朝日に照らされた山頂で、かわりばんこに記念写真を撮影した。顔に笑みが溢れる。来たぞ。ここまで来たぞ。

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高畑山から鈴鹿峠に下り、東海道を通って関町に向かう。ここからは6kmほどだ。もう、普段短いランニングをするような距離だ。自分の中では、「もう着いた」という気持ちになっていた。

ところが、竹内さんが、「東海道の北側に、良いトレイルがありますよ」と言い始めた。そんな道はノーチェックだった。確かに、筆捨山から観音山に抜ける道があるようだ。もうすっかり終わった気持ちになっていたが、ここからもう一度山に入るのか。

実は足の裏に、大きな水ぶくれができていた。序盤の天気が悪かったので、防水靴下を履いてきた。そのおかげで、序盤に足が濡れず、冷えもしなかったのは良かったが、その後どうやら、靴下の中が蒸れてしまったらしい。信楽あたりですでに、軽い違和感はあったが、東海道の舗装路を走っていると、明らかに水ぶくれが足の裏でちゃぷちゃぷしているのが分かった。痛い。自販機でドリンク休憩をしつつ、靴下を脱いでみると、4cmほどの水ぶくれが左足の裏にできていた。これは痛いや。

この水ぶくれの痛みをだまくらかしながら、ロードを堪えて走ればゴールだ、と思っていたところに、「もう一つ山に行きませんか」という案が浮上した。いざ、トレイルの入り口に辿り着くと、看板に地図が載っている。確かに、関町までトレイルが続いている。東海自然歩道にもなっているようだ。

丹羽さんは、しばらく地図を見た後、「こっちにしましょう!」と、相談もなしにそのまま山の方向に走っていってしまった。「こっちで良いですか?」も、「大丈夫ですか?」も無しに。僕は呆気にとられて、一瞬立ち尽くしてしまった。この世の中で、とりわけ日本社会の中で、こういう場面に遭遇することは珍しい気がする。もしかしたら、「空気を読まない」とか、「自分勝手」という烙印を押されることもあり得ると思う。僕がこんなに足が痛そうにしているのに、相談もなしに山に行っちゃうんですか、と、そういう指摘もできる気がした。でももう、この時僕は、全くそういう風には感じなかった。いや、感じなかったというわけではない。どちらかというと、そう感じる自分を捨てたい、と思っていた。

結局のところ、気持ちなんだな、と。自分が「走れない」と思えば走れないし、「走れる」と思えば走れる。「100km行ける」と思えば、行ける。それが今回、僕が学んだ教訓だった。丹羽さんが正しかったのだ。「自分の身体では、80kmくらいが限界だろう」というのは、自分の気持ちが決めているのであって、身体は本当は、それ以上の、自分が知らない力を持っている。その力を、「行ける」と思って引き出すのも、「行けない」と思って引き出さないのも、個人の自由だ。

それから、4人の最後尾に位置して、ずるずると遅れていったり、先頭に立って、調子に乗って走ったり、自分は随分、人のことを気にしているのだと思った。きっとみんなは、もっと思いっきり走りたいんじゃないか、我慢して待ってくれているんじゃないか、とかね。速くなったり遅くなったり、走るペースにムラがあるのは、そうやって人のことを気にしていたり、舗装路が嫌いだとかなんだとか、あれこれ考えるからだ。そういうのも、「気持ち」だ。

一体自分は、どれだけ「気持ち」に影響を受けているんだろう。どれだけ、身体能力を「気持ち」で縛っているんだろう。逆に「気持ち」を外した生の身体の能力とは、どういうものなのだろう。普段、一体どれだけの制約を、自分に課しているのだろう。

だんだんだんだんと、気持ちがどれだけ自分を縛っているのか、が見えてきて、それを剥いでしまいたい、と思い始めていた。そんなものに縛られている自分が、少し嫌になってきていた。自分の限界を越えたのは、気持ちの殻を破ったこと。夜を通して抜けたのは、気持ちの殻を抜けたことだったんじゃないか。

空気を読むとか、人を気遣うとか、そういうのも気持ちの縛りじゃないか。自分が気遣ってもらえないとか、そんな風に捉えるのも気持ちの縛りだと思う。その気持ちを突き破って、「山に行きたいから行く」という純粋な意志だけで、走り始めた丹羽さんを、心の底から格好良いと思った。この人は、本当に強い。心が強いし、ぶれない。夜の闇を抜けた今となっては、そうやって走っていく丹羽さんの姿を見て、「そりゃそうですよね」と素直に受け入れられる、すがすがしい自分がいた。

僕が作ったルートは、「なるべく険しい山をつなげて、三重まで行く」というコンセプトだった。どう考えたって、こちらの山を通った方が、ルートとして完成度が高い。竹内さん、教えてくださってありがとう!

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実際に筆捨山から観音山に向かうルートは、良い道だった。岩もある稜線を、朝のさわやかな風に吹かれながら進んでいった。もはや、水ぶくれは直径4cmほどの大きさに膨れ上がり、まるでスピードが出せない。いや、痛みというよりも、自分の中で、一度「着いた」と思ってしまい、道路に座り込んで靴下を脱ぎ、4cmの水ぶくれを目にしたことで、何かが切れてしまっていた。

それも気持ちだ。でもこの時は、最後のこの区間を、じっくり味わいたい、という気持ちもあった。これまで、自分が限界だと思っていたものを抜けて、夜の暗闇を抜けて、気持ちの縛りを抜けて、朝の風に吹かれながら、稜線を歩いている。なんて気持ちが良いんだろう。もう少しくらい、この空気を楽しんでいたい。

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しばらくすると観音山に抜け、関町の町並みが見えてきた。いよいよゴールだ。宿場町に向けて降りながら、やり遂げたぞ、という実感がこみ上げてきた。着いたよ。ありがとう。

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宿場町の中をしばらく進んでいくと、今回のゴールにたどり着いた。みんなで手を取り合ってゴールした。何度も連れ添ってもらったさすけさんと抱き合った。丹羽さんと竹内さんにお礼を言った。ありがとうございました。皆さんのおかげで、ここまで来れました。本当にうれしいです。

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ひつまぶし、その後

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ゴールでお世話になったお家に、日めくりカレンダーが掛けてあるのを丹羽さんが見つけて、教えてくれました。3月22日に「ここまでと思ったらそこまで」と書いてあり、思わず爆笑。

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お風呂に入らせて頂いた後は、予定通りひつまぶしを食べに行った。うまい。うまいけど、眠い。少し会話が途絶えると、すー、っと寝落ちしてしまう。4人ともそんな感じで、ちょっとおもしろかった。やっぱり、皆さんも疲れているんだな。ゴールすれば、単なる徹夜明けの眠そうな人たち、に戻るんだな。ちょっと安心しました。

京都まで瞳さんに車で送って頂き(ありがとうございます)、帰宅。家に帰った後は、寝まくりました。12時間くらい寝た気がします。

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水ぶくれは、水を抜いてしばらくすると普通に歩けるようになりました。
足の痛みは、実はそれほど残らず、翌日には普通に散歩ができ、3日後には軽いジョギングが出来るようになりました。(去年の故障から考えると素晴らしい進歩)

予想外に影響があったのは、冷えでした。走り終えてから1週間ほどは、体の芯が冷えた感覚がなかなか消えず、お風呂に入っても布団に入っても、なかなか治りませんでした。それで、日中が随分寒く感じていました。それから、口内炎が結構できました。ビタミンが足りていなかったのでしょうか。

やはり何か、普段は使わないような領域まで、エネルギーや栄養を使ったんだろうな、と思います。

ともかく、とても貴重な体験をさせて頂きました。お誘い頂いた丹羽さん、同行頂いた竹内さん、サスケさんに、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

三重まで走った翌日、朝の散歩をしている時に、改めて100km走りきれたことの喜びがこみ上げてきました。そして、「またあんな挑戦をしてみたい」と思いました。走った翌日に、もうそんな風に感じている自分に驚きました。

なにか、次の目標を定めたい、と思い、7月のAndorra Ultra TrailのMitic(112km)に申し込みました。タイミングはちょうどギリギリ。これも何かの縁かな、と。

実はAndorraは、昨年も申し込んでいたんです。でも春先に故障が続き、「このままではとてもじゃないけどあんなコースは走りきれないだろう」と思って、キャンセルを申し込んだレースです。

今年もう一度、今年こそは、挑戦してみようと思います。その時は、気持ちの殻を抜けて、ピレネーの山々と向き合える自分でいられたらな、と思います。

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