京都から三重の実家までトレイルを走ってみた - 京都から柘植まで1

10月31日(土)早朝、いよいよ三重県へのトレイルに挑戦する日。別に何かの大会があるわけでもなく、ただ、自分自身が走りたいから、という理由でどうしてここまで!?と、不意に自分でも思うが、とりあえずすごく早起きして出発することに。まだ外は寒いくらい。

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4時半に起き、5時にはスタートしようとするが、ここでなぜこんなタイミングで、というトラブル発生。スタート前に部屋の床にiPhoneを落としたせいで、画面に縞模様が出て、操作ができなくなってしまった。iPhoneが無いと、いざという時に連絡が取れないし、地図を見ることもできない。写真も撮れない、ということで、かなり致命的。

もう、iPhoneのことは忘れて、さっさと出発しようかとも一瞬思ったが、冷静に考えるとさすがにiPhone無しで出発するわけにはいかない。最初は気持ちが動転していて、一体どうしたら良いのか検討もつかず、呆然としていたが、あややさんが「私のを使って」と、僕のfacebookアカウントなども設定してくれて、おかげでiPhoneを確保。30分ほど遅れてスタートすることができた。感謝だ。

最初の山は大文字山送り火が行われる火床に向かって歩いていると、周りにも同じように登っている人たちが何人かいた。その中で、自作のワラーチサンダルを履いた、すこしがっしりした体格の男性と並んで歩くような形になり、自然に話を始めた。

どうやら皆さんは、毎朝火床でラジオ体操をするために毎日登っているらしく、一緒に歩いていた石川さんは、昨年は365日中358日くらい大文字に登った、ということだった。雨の日も雪の日も、それから冬はまだ6時は真っ暗だ、というのに、である。1年で7日しか休まなかった、というのは相当すごい。ちなみにその7日は、出張でどうしてもこられなかったそうだ。

火床に着くと、ラジオ体操のために集まっている人たちが10人ほどいた。一緒に登ってきた石川さんに、「実は今日は遠くまで走る予定なんです」と話をし、「どこまで行くんですか?」と聞かれたので、「三重の実家を目指します」と話すと、えええええーーーー!!、となった。

そして、周りにいる人に順番に、「なあ、この人、これからどこまで行くつもりだと思う?」と行って、「三重ですよ、三重!」と言って周り、そんなそこまで言いまわらなくても、とこっちが少し恥ずかしくなるほどだった。

それで、結局集まっていた人たちみんなに、「今から三重まで走る人」みたいな風に認識されて、それであれこれ質問されている間にラジオ体操の時間が来て、まあとりあえず一緒にラジオ体操しましょう、ということになって、何の因果か、朝6時半に大文字山でラジオ体操をすることになった。

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体操が終わって、せっかくなので、とそこに集まっていた方々と記念撮影をし、それからようやく出発。

結局、iPhoneが壊れたのと、ラジオ体操の皆さんとお会いできたのとで、すでに予定よりはだいぶ遅くなっていたが、まあそもそも、今日はどっちみち明るいうちにはつかないだろう、と思っていたし、急いで通りすぎて、あとから寂しくなった時に、「もっとちゃんと交流しておけばよかったな」なんて思ってもあとの祭りである。だいたいこういう時は、きちんと時間を取っておいたほうが、結局あとから後悔がないというのが経験上あり、今回もたっぷり交流をさせて頂いて、それからお別れをした。

朝から皆さんに見送って頂いて、なかなか幸先の良いスタートだった。

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ここから大文字の裏側に入り、小関越、逢坂山を越えて、音羽山に向かう。音羽山を北側から登るとなかなかの傾斜である。そして、今日のコースではここが最高峰だ。

山頂に着くと、山科市街と、その向こうに京都市街が見える。ここで京都の町並みともお別れをし、さらに、まだ走ったことがないルートに入っていく。さよなら、京都、こんにちは、滋賀、という気持ちで山頂を通過した。

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音羽山から牛尾観音に向かう道と別れると、少し道が荒れだし、東海自然歩道となっているので一応階段が整備されて入るが、その階段が少し崩れかかっていたり、結構な急傾斜が連続したりしていて、そこまでのルートに比べると歩く人が少ないルートであるようだった。

牛頭岳を越え、舗装路に降りる。そこからしばらく舗装路を行き、最初のコンビニへ。ここまでが、とりあえず第1セクションというところだ。

ちなみに今回のルートは、80km以上あるというのに、途中にコンビニが2箇所しか無い。だから、この2箇所で必要な飲食料を補給し、走り続ける必要があった。コンビニに着くと、ポカリスエットピルクル、それにおにぎりやシリアルバーなどを買い込み、ボトルを満タンにして再び走り始めた。

ところで、ここで休憩しながらGPSウォッチの距離を確認すると、28kmくらいになっていたが、事前に作成したルート図を見て、現在地の距離をみると、まだ20kmしか進んでいないはずだった。事前のルートは、登山道上を直線的に点を打って作成したものだったので、実際は多少長くなるだろうと思っていたが、たった20kmで8kmもずれるのは想定以上だった。

実際は、ガーミンのGPSウォッチを、電池の消耗が少ないウルトラトラックモード(間引きしてGPSを記録する)にしていたため、どうやらルートの精度が悪く、時計側の距離が普段よりも多めに出ていたようだが、とにかく、このままいくと、当初計算していた72kmを大幅に上回ることが薄々分かってきた。

まあ、実際の地面が動くわけではないし、とりあえず行けるところまで行くしか無いことに変わりはないや、と思い、あまり距離のことは考えずに走ることにした。

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南郷洗堰から瀬田川を越え、少し南下すると、ここからは湖南アルプスに入る。湖南アルプスは、標高はそれほど高くはないが、岩場から大津や琵琶湖の景観が見渡せるアルプス的な要素がある山らしい。

山道に入ると、白っぽい砂地の道で、道脇には笹が茂り、大文字近辺とはまた違った山道の雰囲気があった。最初の笹間ヶ岳に向けて登って行くと、途中で3人の男性登山客を追い越した。さらに山頂に行くと、夫婦の登山客がおり、合計2組に出会った。まあ、それほど多くもないが、誰も来ない山、というわけでもないようだ。

その笹間ヶ岳山頂は、大きな岩があり、その上が山頂になっている。はしごをつかって岩によじ登ると、バーンと景色が開けてなかなかの景観だった。なるほど、確かに素晴らしい景色だ。430mの標高でこんな景色が望めるとは、なかなかお得だ。

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笹間ヶ岳からはさらに東へ進む。矢筈ヶ岳に向かい、そこから不動寺のある太神山に向かう。この道はなだらかで、トレラン向きの走りやすい道だった。しかも、それなりに距離があるのに、途中で遮るものがほとんどなく、なにか夢中で走り続けていた気がする。

途中に1箇所、突然非常に美しい湖が現れる場所があった。エメラルドグリーンの湖が、不意に目の前に現れた。こんな、山道を歩いてしか来られない場所に、秘められた湖、という感じで佇む場所は、なかなか素晴らしいではないか。

なにかきっかけがあれば、「一度は訪れてみたい、幻の湖滋賀県にあった!」とか言って、ネットとかでも話題になりそうな風情だった。

そんな湖を楽しみつつ、矢筈ヶ岳に到着。ここは最後山頂をピストンすることになるが、せっかく来たので山頂まで登っておく。最後は少し急登だったが、登ってみると特に展望もなく、少し休憩してまた引き返し、続きに向かった。どうやら最近遭難事故が起こったらしく、分岐には事故のことや、道に迷わないように、という内容が書かれた貼り紙が貼ってあった。

あまり山の中にいて恐怖を感じることは最近少なくなっているが、なぜかこういうのがちょっと怖い。自然よりも、どちらかというと人間のほうが怖いな、と感じた。何が怖いんだろう。なんか、この場所で道に迷ってしまい、家にたどり着けずにつらい思いをした人がいたのか、と思うと、その人の悲壮感とか、絶望感みたいなものが怖いのかも知れない。

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まあとにかく、考えると怖いので、さっとそういう考えは捨て去り、また走ることに集中した。

矢筈ヶ岳の手前で一度東海自然歩道と別れたが、この登山道はそれほど荒れておらず、非常に走りやすかった。トレランルートとしてはかなりおすすめである。

不動寺に近づくと、再び東海自然歩道と合流する。不動寺の西側の二尊門には、両脇に表情豊かな二体の石像が出迎えてくれて、なんだか特別な場所だ、ということが分かる。

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右、左とご挨拶をして境内へ。ここは、太神不動寺とも呼ばれるらしく、本堂は太神山の山頂に立っている。山頂に登ると、大きな岩座が重なっており、そこにくっつくように本堂がある。なるほど、昔から信仰の対称となるのもうなずける場所だった。

未だに、車では辿り着けず、登山道を歩いてしか来られない、というのも味があって良い。

さて、ここから先は、また東海自然歩道を離れ、国土地理院地図に載っていた点線の登山道を信楽方面に向けて進む予定だった。ところが、この太神山山頂から東に向かう道を探すも、見つからず。山頂から見ても、どこにも道が見えなかった。どこかに巻道があるのだろうか、と、山頂から一度おりて、別の方向から回ってみたりしたが、その道もつながっている様子はなかった。

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ということで、しばらくの間、あちこちルートを探したが、結局見つからず。予定のコースを進むのは断念して、東海自然歩道を進むことにした。

東海自然歩道は、少し戻った分岐を北に向けており、そこから林道を東に進む。この林道はきっと舗装道路なんだろう、と思っていたため、足が痛くなりそうで嫌だな、と敬遠していたのだが、いざ行ってみるとダートの林道だった。距離が長くなってくると、とにかく舗装路が足が痛くて辛い。少しでも土の道を歩きたいと思っていたので、これはとても都合が良かった。

とは言っても、やはり登山道に比べると、ダート林道の方が同じような足の動きを繰り返すことになるので、次第に足が痛くなってくる。そろそろフルマラソンの距離を超え、距離が50kmに近付きつつあったので、もうすでにトレイルランの最長距離を更新していた。ここからどれくらい足が痛くなるのか、どれくらい体力が持つのか、など、未知の領域だ。

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林道を下って行くと、甲賀市の県道12号線に出る。ここからは本当に舗装路だ。この道は、昔自転車のトレーニングで通ったことがあるルートだ。一度三筋の滝で東海自然歩道が川沿いの道にそれてトレイルを歩ける区間があるが、それ以外は舗装路を、しかも結構な上り坂で登って行く。微妙に登り続けるため、走ったり歩いたり、を繰り返しながら、ようやくミホ・ミュージアムまでたどり着いた。ここから再びダートの林道になる。

ミホ・ミュージアムの入り口の分岐のところで、なんだか一度気持ちが切れてしまい、地面に寝転がって空を見上げた。あー、疲れたー、と、しばらくぼーっとし、少し補給を取って、再び走り始めた。

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ここから先、予定のルートでは、また東海自然歩道から離れて、新名神高速道路と林道の間にそびえる、名のない山を越えるルートを考えていた。一応国土地理院の地図には、稜線を辿るように点線の道が書かれていた。しかし、先ほどの太神山では、全く道がなかったため、少し嫌な予感がする。国土地理院の点線の道は信頼出来ないし、予定よりも遥かに距離も長くなってきているし、身体も疲れてきているし、ここは無理に突っ込まずに、おとなしく東海自然歩道を進もう、と思った。そう思って、林道を走り始めた。

しばらくすると、予定していた山に入る道との分岐が現れた。そこから山道をのぞくと、なんだかとっても美しい森が見えた。え、もしかしてこの道、実はかなり気持ちの良いトレイルなのでは?などと思ってしまい、なぜかふらふらと森の中へ。

結局、ふと気付くと山に向かって走っていた。一体どうなっているのか、自分はどうしてしまったのか、という感じである。まあ、距離が予想以上に長くて、途中でやめることになったとしたら、むしろちゃんと、一番通りたかった道を通っておいたほうが、あとから走り継ぐ時にも後悔がないかもしれない、とまあ、そういうことも意識下では思っていたのかもしれない。が、この時は、ほんと、森に惹かれてふらふらと、という感じが強かったように思う。

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それで、また山に入って、まあほんとに、僕は一体どうなってしまっているんだろうか、と思いつつトレイルを進み続けた。最初のうちはよく道が付いていて、しかも本当に気持ちの良い道で、このルートは当たりかもしれない、と思っていた。

しかし、しばらく進んで、送電線の鉄塔が見えてくる一番景色の良いあたりで、様子がおかしくなってきた。鉄塔のしたは景色が開け、とても気持ちが良いのは良かったのだが、本来のルートでは送電線を北に越えることはなく、少し南を進むはずだった。それが送電線の真下にいるということは、少し北にずれているということである。それで、少し南の方向に入って本来のルートを探すが見つからず。しばらくは地図が少し間違っているのかもしれない、と考え、そのまま道が続く方向に進んでいったが、やはりどう考えてもずれている、ということが明らかになってきた。

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この時点で、山の入口から数キロ進んでおり、戻るとすればここだったが、そうするとまた随分戻ってしまうことになる。どうやら僕が辿った道は、送電線の鉄塔の整備道だと思われるので、この道をたどると予定とは違う山の北側に降りることになりそうだった。そうすると、そこから少しまた舗装路を行くことになるが、戻るよりはましだ、と考えて、そのまま進むことにした。

幸いこの道は途中で途切れることはなく(ほんと良かったw)、最後はかなりの急傾斜の斜面を、ちょっと強引に下るような形になったが、なんとか山から降りることができた。降りてみると看板が立っており、山の方向に向かって看板を読むと、「関係者以外立入禁止」と書いてあった。やはり電力設備のための道だったようだ。

ということで波乱はあったものの、なんとか名もない山を乗り越えることができ、大戸川沿いに降りることができた。

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(つづく)