石川弘樹さんの東海自然歩道FKT

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プロトレイルランナーの石川弘樹さんが、前代未聞の東海自然歩道FKTにチャレンジされた。東京高尾山から、大阪箕面まで続く、全長1697kmの東海自然歩道のうち、メインルートの約1000kmを何日で走りきれるか、という挑戦である。
FKTとは、Fastest Known Timeの略で、こちらの手作り感のあるウェブサイトに、さまざまなトレイルの最速記録が登録されている。例えば、スコット・ジュレクが3500kmに及ぶアパラチアン・トレイルを46日8時間7分で踏破した記録などが有名である。
アメリカには、この他にも、パシフィック・クレスト・トレイルなど有名なロングトレイルがあり、これを通して歩くスルーハイクが文化として根付いている。

一方日本の現状は、まず、このような1000kmを超えるようなトレイルの存在は稀であるし、こうしたロングトレイルをスルーハイクする人はまだそれほどおらず、FKT文化もあまり根付いてはいない。山好きの方が、何回にも分けて東海自然歩道を踏破された記録などは見かけるが、一気に踏破した人を見つけることは難しく、それゆえ記録を競ったりすることもない。

ただ、日本人が長い距離を続けて歩いたり走ったりすることに無関心かと言えば、決してそうとも思えない。例えば四国八十八ヶ所を巡るお遍路道は、古くから多くの人を集めているし、東海道中山道などを踏破する人もたまに見かける。時間を競うかどうかはともかくとして、長い道のりを続けて歩くことにかけては、日本にも長い歴史があるし、現在も多くの人の心を惹きつけていると言えるだろう。
最近では、田中陽希さんが日本百名山を一筆書きで歩き通す挑戦がNHKで放映され、多くの人の関心を集めたことも記憶に新しい。また、正月になれば、箱根駅伝を沿道やテレビでじっと見守る。
要するに日本には、長い距離を日数をかけて歩いたり走り続けるのが好きな人がたくさんいるし、また、長い距離を歩いたり走り続けている人を応援するのが好きな人もたくさんいるわけである。

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そこに来て、石川さんの東海自然歩道である。
お遍路道や東海道などは、現在はほとんどの道が舗装されてしまっており、走り続けるにはかなり地面が「固い」。舗装路を長く走り続けると、どうしても足の負担が大きくなり、故障しやすくなる。それに比べると、舗装されていないトレイルは比較的足にやさしいし、なによりも、景色が変化に富むために精神的にも楽しい。
というわけで、日本を代表するトレイルと言えば東海自然歩道だろう、ということになったのかどうかは分からないが、これまた日本を代表するトレイルランナーである石川さんが、この全線踏破に挑むことになった。

挑戦は5月7日から始まり、石川さんの位置はリアルタイムでGPSラッキングされ、ウェブサイト上で確認ができる仕組みになっていた。

連日、facebookの石川さんのページや、トレラン系のメディアに進捗が紹介され、多くのランナーが応援に駆けつけていた。地図を眺めていると、見るたびに刻々と位置が進み、この2週間ほど、自分が起きている時間のほとんどの時間、石川さんは偉大な記録に向かって走り続けているのだと感じた。

これはなかなかそわそわするものである。なぜかはうまく言葉に出来ない。ただ、自分が机の上でパソコンに向かっている時も、のんびりテレビを見ている時も、東海自然歩道の上では石川さんが今も走り続けているんだ、ということを思うたびに、どうにも落ち着かない気持ちになった。そこで、関西に近づいてきたら、どこかで応援に行きたい、少しでも良いので一緒に走りたい、と考えるようになった。

愛知県を過ぎた頃に一度、「並走はありがたいですが、地図を見ずに道案内ができる人だけでお願いします」という書き込みがあった。あまりたくさんの人が駆けつけるのも、負担になるようだった。石川さんとの関係は、先日の奥三河パワートレイルでご挨拶した程度のものだ。もし走らせてもらうにしても、京都周辺の走り慣れた区間、できれば音羽山比叡山くらいが良いだろうと考えた。

5月23日、月曜日の朝、石川さんは信楽にいた。これまでのペースで考えると、この日は大津くらいまで進むことになりそうだった。そこで、翌24日の朝、大津に駆けつけ、可能であればそこから比叡山を一緒に走ろうと考えていた。しかし日中に地図を見ていると、思ったよりもペースが速く、夕方には大津に着きそうだったので、その日のうちに比叡山を越えることは確実に思えてきた。

どうしようか。比叡山を一緒に走りたいなら、今しかない。行ってみても、走らないほうが良いかもしれない。でもとにかく現場に行ってみよう。と、急いで荷物をまとめて大津に向かった。比叡山の入り口である滋賀里で待っていると、しばらくして石川さんが現れた。

石川さんの他には、Run Walk Styleの三浦さん、モントレイル中川さん、藤澤さん、大津の伊藤さんが並走されていて、合計5人が走っていた。そこにサポートカーが2台。取材班のカメラマンさんが1名、取材車が1台。それに、Sky High Mountain Worksの北野さんも応援に駆け付けられていた。

ありがたいことに休憩地点で一緒に写真に入れてもらい、再スタート。石川さんに「走っていいですか」と聞くと、「道はわかりますか」と聞かれ、入れてもらった。そこから比叡山に向かって、6人で走りだし、途中で伊藤さんが大津に引き返して5人になった。

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印象に残ったことを時系列で書いてみよう。

まず、休憩の短さに驚いた。ここからは比叡山の長い上りが始まる、という地点だったため、少し長めに休むのかと思っていたが、ものの数分で再び走り始めた。ご本人も、「なるべく止まらないことが重要」と言っていた。

それから、ここまで累積900km近く、その日だけでも60km近く走ってきたとは考えられないくらい、元気に見えた。もちろん、足の痛みや体の不調など、いたるところにあるのだろうが、それでもこちらから見ていると、その辺のごく普通の元気な人と変わらない、へたをすると普通の人よりも元気に見えるくらいだった。

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走り始めてみると、もちろん短距離レースを走るようなペースではないし、登りの区間はほとんど歩くのだが、その歩きは力強く、それなりに速い。平坦や下りは淡々とした走りで下っていく。なるべく足に負担をかけないように、上手にセーブしながら、効率的に走っていることがよく分かった。たびたび立ち止まり、ストレッチをしては、また走り始める、ということを繰り返していた。

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恐らくトップスピードに乗れば、これの何倍ものスピードで走れる実力があるに決まっている。それをずっと抑え続け、身体に不要な負荷をかけずに走り続けるのは、そんなに簡単なことではないはずだ。体調が良ければ思わずペースを上げたり、他の人が一緒に走っていればついつい自分のペースが崩れたりしてしまいそうなものである。ところが、そのペースは常にある一定の負荷以内に抑えられており、ときおり僕たち並走者に、「こんなゆっくりですみませんね。」と気遣う言葉までかけてもらった。その落ち着きが、今回の成功の一番大きい要因だったのではないだろうか。

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延暦寺に着くと、辺りが暗くなり、ヘッドライトを装着した。ここで、今晩のプランが話し合われた。宿をとるなら大原だが、大原に宿を取るのか、それともそのまま進むのか。すでに残りの距離は100kmほどになっている。これまでは、毎晩8時頃に行動を終え、就寝していたが、いよいよゴールが近付いてきており、今日はそのまま走り続けよう、ということになった。どうやら、残り100マイル(160km)を超えれば、100マイルレースで一気に走った距離であり、身体が許せば、眠らずに走り切る、という考えがもともとあったようだった。大原の宿はおさえずに、行けるところまで行ってみましょう、ということになった。今晩は夜通し走ることになる可能性が出てきた。

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延暦寺を過ぎると、横高山の手前までは京都一周トレイルと同じルートを進む。ここは今週末には比叡山トレイルラン大会が開催されるルートである。鏑木さんがプロデュースする比叡山のコーステープが垂れ下がるルートを、石川さんが走っている姿もなかなか感慨深い。傾斜がきつくなる横高山の手前で、東海自然歩道は一旦滋賀県側に横川まで下る。そこから再び登り返して仰木峠へと至る。

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この頃には辺りは闇が支配していた。昼間の熱気を残した空気が、ノースリーブのウェアから出る2本の腕をなでていく。風はまったくない。ヘッドライトの灯りが足元を照らし、転ばないように足から1mほど先の地面に意識を集中させる。時折、延暦寺の建物が現れるが、人影は見えない。こんな時間に一人で比叡山を走ろうものなら、何か、夜に圧倒されたかも知れない。しかし今日は石川さんがいる。他の3人がいたし、近くにはサポートメンバーがいたし、ネットの向こうにはたくさんの応援者がいた。なぜか、夜の山に対する畏れはまるで消え失せ、大きな川の中で、流れに身を任せて、自然に流れているような、そんな勢いを感じた。足には全く疲労を感じない。この川の流れに身を任せていけば、どんなに遠くでもたどり着けるような気がした。僕はどうしても、大原より先に行きたくなった。

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暗く、静寂の道を、5人の足音が通り過ぎていく。夕暮れ時には、夜が訪れるちょっとしたわくわく感もあったのか、みなことば数も多く、店長オラオさんこと三浦さんをはじめ、それぞれが代わる代わる話をしていた。夜になるとその会話数も減り、足音だけが響き渡る時間が増えたが、そんな静寂が必要以上に長く続かないよう、三浦さんや、石川さんが話題を口にし、会話が断続的に続いた。石川さんは、静岡県で望月さんと2人で走っている時に聞いたという、犬のエピソードを語った。

僕はただ、応援に駆けつけた地元のランナー、という立場だったから、なるべく邪魔をしないよう一番後ろからついていったが、横川中堂付近で一度、たまたま石川さんの真後ろに入ったため、道案内をさせてもらった。幸いこの区間は、最近何度も走っていた区間だったため、横川の駐車場からトレイルに入る入口を案内したり、Mount Chopで通った仰木峠への道を示す役割を果すことができた。些細な事ではあるが、多少なりとも役に立てたことがうれしかった。

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こうして大原に到着し、この日一番大きな山越えが終わった。石川さんからは、「お疲れ様でした」とお声がけを頂いたが、「できれば次の鞍馬まで行かせてください」とお願いをした。「大丈夫ですか?」と逆にお気遣いを頂いてしまった。気持ちは、もうどこまででも行ってみたい、という気持ちになっていたが、次の区間で降りよう、と思った。

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結局鞍馬付近のサポートカーが待つ地点まで併走させてもらい、帰路についた。滋賀里から30kmほど進んでいた。時間は12時を過ぎ、すでに日が変わっていた。およそ6時間の行程だった。

その夜、石川さんは夜通し西に向かって走り続け、翌24日の夕方、大阪箕面に到達した。最後の区間は、全ての力を出し切りたい、と言って誰もついていけないようなペースで走り、併走していたメンバーを振りきってゴールしたらしい。もしかしたら、1人でゴールしたかったのかも知れない。

僕が体験した、石川さんの東海自然歩道FKTは、こんなところだ。本当は、この何十倍、時間で言えば100倍以上の長さがある。僕が見たのは、そのほんのほんの一部だ。石川さんの記録は、17日10時間18分だった。もしかしたら将来、この記録を破る人が出てくるかも知れない。あるいはもっと長いトレイルを開拓し、挑戦する人も出てくるだろう。しかし、今回の取り組みは、日本でのロングトレイルFKTのさきがけとして、記憶に残り、参照され続けるに違いない。むしろ、これからたくさんの人が、ロングトレイルに取り組めば取り組むほど、今回の取り組みの存在感は増していくはずだ。17日間という記録よりもむしろ、この時期に、たくさんの注目を集めながら、一人のランナーが1000kmの道のりを走ったことの意味が、これから大きくなっていくように思う。

その歴史的な道程のほんの一部だけでも、垣間見られたことが何よりもの喜びだ。
石川さん、受け入れて頂いてありがとうございました。
関わられた皆さん、記録達成、おめでとうございます。

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