滋賀県一周トレイルに挑戦!その2

2017年5月20日、土曜日。午前9時32分。京都市中京区の自宅前をスタートしました。

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朝の5時とかでもなく、9時半です。週末の朝、普通に起きて、ご飯を食べて、ひよっこを見て。
「さて、そろそろ行くか」と。平日に仕事に出かけるように。

北白川のバプテスト病院まで走り、そこから比叡山の登りに入っていきます。ここはいつもの見慣れた道。だけど、三重県に続いている道。

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長らく塩漬けになっていた、滋賀県一周計画への気持ちが高まったのは、いくつかの要因がありました。

一つは、前回も書いた、丹羽さんたちと三重県まで走ったこと。これで、フォロワーが出てきた。三重までの道を走り通したのが、自分ひとりじゃなくなった。南ルートを走り終えた人が出てきたので、次は北ルートも開拓しておかなくちゃ。丹羽さんが次に走りたい山がなくて困るかもしれない(いや、困らないです)。そうこうしていたら、西さんも南ルート走るって言い始めるし。西さんも困るかもしれない。(いや、困らない)

もう一つは、友だちのいちごちゃんが、会社をやめてアメリカのロングトレイル、PCT(Pacific Crest Trail)に挑戦すると言い出したこと。PCTというのは、アメリカ西部の山脈を、メキシコ国境からカナダ国境まで、南北に縦断するトレイルです。その長さは4000km以上。(4000kmですよ。4000。400じゃないです。4000です。)

小柄な女性が、5ヶ月もかけて、アメリカをトレイルで縦断すると聞いたら、もうなんか、完全にやられたな、と。(張り合ってどうする)
というか、正直羨ましかったです。自分も行きたい。

(ちなみに、いちごちゃんのPCTへの挑戦は、現在絶賛進行中です。きっとこちらのブログ『いちごいちえ』でも、いずれその様子が読めるようになると思います。がんばれ、いちごちゃん。)

いわゆる「片雲の風にさそはれて」というやつです。芭蕉先生、最高です。シンパシー感じます。同じ種類の人だったんだと勝手に思っちゃいます。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず

「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行かふ年も又旅人也。」ですよ。
奥の細道のこの冒頭、大好きです。そもそも、過ぎゆく月日も、旅人のようなものだと。お前だけ、なに一箇所に留まってんだ、と。(言ってない)

「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」ですよ。
そもそも、船で暮らしたり、馬を引いて暮らしている人は、普段から旅をしているようなものだぞ、と。そうやって旅を暮らしにしている人がいるのに、お前だけ、なに一箇所に留まってんだ、と。(言ってない)

「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」。
片雲の風は、漂う雲であり、旅をすみかとする自由な旅人でもあり。旅人が、漂う雲のように自由に、軽やかに、彼方に向けて、漂っていくのを見て、自分にも漂泊の思いがやまないわけであります。(分かりますよね)

そろそろだな。そろそろ残りのルートに行かなくちゃ。時が迫ってきたな、と思いました。

行くとしたら、ベストシーズンは5月だと考えました。
梅雨が始まってしまうと雨になるし、7月をこえると暑くなります。秋になると涼しいですが、日が短い。
5月。比叡山のトレランが終わった下旬辺り。ここが1年で最大のチャンスだと思い、自分のGoogleカレンダーに「滋賀県一周?」とクエスチョンマーク付きで、8日間くらいの線を引いておきました。多分330kmくらいだから、8日間くらいあればたどり着けるかな、と。
確定じゃないけど、どうしても外せない予定は入れない、くらいの感じで。

なぜ「?」付きかというと、仕事の調整が付くかどうかわからない、という現実的な問題もありましたが、それよりも自信が無かった。
8日間も連続で走り続けられるのかどうかが、自分で分からなかった。体力的にも、精神的にも。
だから、「行く?ここらへんで行っとく?」くらいの感じで、線を引いておいた。毎日カレンダーとにらめっこしながら、自分の身体と心と相談していた。どうする?行ける?と。

そうこうしていると、ちょうどタイミングを合わせて、絶好の晴れ間がやってきた。
大雨だった比叡山トレイルランが終わり、しばらくして、空はくっきり。どこまでも晴れ渡る快晴。tenki.jpで週間天気予報を見たら、向こう一週間全部晴れマーク。

奇しくも、いちごちゃんがPCTを歩き始めるタイミングであり、西さんが南ルートに挑戦する日でもあり。なにか、全部がぴったりと一致して、背中を押された気がしました。
よし、行くぞ。旅に出かけよう。

家を出発することに決めたものの、三重まで行くとか、8日間走るとか、誰にも言わなかった。自信がなかったから。どこまで行けるか分からなかったから。自分でも、本当に決めていなかったから。ただ、日常生活のように、毎日朝起きて、走って、食べて、夜になったら寝る。続けられなくなったら、そこでやめる。それで行けるところまで行こう。

朝の9時半に出発したのは、そういう気持ちの現われでした。気負わずに、朝普通に起きて、普段週末にトレランに行くように準備して、走り始める。そうやって、ごく普通にスタートしたかったのです。

(つづく)