自分に出会おうとした君に

新穂高温泉からスタートして、穂高岳をぐるっと一周するコースを、1回で走りきれないかと思ってるんですよね」
と尾崎が話しているのを聞いたのは、確か去年くらいだった気がする。

f:id:jkondo:20170829185505j:plain

笠ヶ岳から上って、双六山荘から槍ヶ岳を経て、大天井岳常念岳蝶ヶ岳と縦走し、一度上高地に降りて、最後は焼岳を越え、また新穂高温泉に戻ってくる、という一周コース。確かにちょうどうまく一周できるし、日本の山岳コースの中でも、屈指の景色が楽しめる名ルートだ。ただし道は険しい。

その時は、
「そんなメチャクチャなコース、行く人がいたらすごい」
と思いながら、自分が行くことなんて想定していなかった。

登山をする感覚から言えば、このコースを一度も止まらずに走る(歩く)というのは、ちょっと考えられないルートである。
距離的には70kmほどで、トレランレースで走る範囲に入ってくるのかもしれないけど、さすがに3000m級の稜線である。
自然条件や道の険しさは、トレランレースとは訳が違う。

この夏に、山の友達が一人、亡くなった。
一緒に山にも登ったし、トレランレースにも出た事があるいちごちゃんだ。
このブログにも登場してる。

彼女は、半年近くかけてアメリカのロングトレイルに挑み、渡渉に失敗して流されてしまった。
自分の周りにも、共通の山友だちが多かった。
出発前には、みんなで集まって壮行会したんだ。
まだ3ヶ月前だよ。

広島県で行われた葬儀に向かうために、その友人に声をかけ、一緒に車で向かった。
行きも帰りも、彼女の思い出話を続けていた。
みんなの心の中にある彼女に会うことができた。

トヨタレンタカーで借りた7人乗りのハイブリッドカーで、朝6時から運転して広島に向かい、
レンタカー屋が閉店するまでに京都に帰ってきた。

家に帰っても飲む相手がいないメンバー(=尾崎、山本、近藤)で、「一杯やろう」ということになった。自然な流れだった。
近くの、南極観測隊の料理を作っていたというシェフのいる居酒屋に入り、山の話をしているうちに、「この夏はどこに行くのか」という話になった。

そこで尾崎が、「穂高一周に挑戦する」という話をし始めた。
いよいよやるのか、あれを。
でもまだ、達成していなかったんだな。

「何時にスタートするか、迷うんですよねえ。夜のつらい時間を、どのタイミングで迎えるべきか」
などなど、現実性のある話を聞いているうちに、だんだん興味が湧いてきた。

本当は南アルプスを縦走する予定だった山本さんが、「僕も行こうかな」と言い出した。
僕は尾崎の足を引っ張るのが嫌だったので躊躇していたけど、そういうことなら、と、「山本さんが行くなら僕も行く」と言った。

「じゃあ3人で行こうか」ということになって、あとはいつにするだの、どれくらいの装備を持っていくだの、どんどん話が進んでいった。

最初に聞いた時は、まさか自分が、と思っていたんだけど。
アンドラで2500m級の山を110km走れたのも大きかった。確かに、やればなんとかできるかも。
そしてまた、双六山荘は、はじめていちごちゃんと出会った時に、おかしな踊り(確か「晴れの舞い」と呼んでいた気がする)を披露された思い出の場所でもある。
こうやって、彼女と縁のある3人で、長い間一緒に、彼女と縁のある山を歩くのは悪くないと思えた。

f:id:jkondo:20170726105751j:plain

問題は、僕のコンディションだ。
アンドラから帰国して以来、日本の暑さに完全にやられてしまった。
もちろん、最初はレースの疲れがあった。
予想したとおり、帰国してからどっと疲れが出た。そして夏バテ。
しばらく、全く走る気にもならなかった。もちろん山にも行けていない。
そんな時に、彼女が逝ってしまったのだ。

自分でも、一体何をしていたのかよく覚えていない。
とにかく毎日、ぼんやりと時間が過ぎていた。
こんな状態で高い山に行くのは、どう考えても危険である。
さすがにもう少しシャキッとしないと、暗い隙間からやられるかも知れない。
短い距離ならまだしも、長い距離で、ギリギリの状態になってきたら、弱い部分から確実に入り込まれる。
尾崎と山本さんと3人で行けば、もちろん支え合えるけれども。
それでも保てるかどうか、ぎりぎりのところだな、と思った。

直前まで迷い続けた。
というか、どちらかというと「これはやめておいたほうが良い」とずっと思っていた。危なすぎる。
どうやって彼らに、「やっぱりやめる」と切り出そうかと思っていた。

直前に東京に出張して、こちらも気の重かった用件を済ませて、少し軽くなった心で新幹線に乗り、ビールを片手に車窓を眺めていた時に、はじめて「行っても良いかもな」と思えた。

週末までにやるべきことをすべて終わらせ、あとは山の日の三連休を迎えるだけ、という状態になった時に、初めて少し、「楽しみだな」と思えた。ぎりぎりだった。

もう一度「山に行きたい」と思えるまでに、アンドラから1ヶ月が過ぎていた。

f:id:jkondo:20170812063751j:plain

笠ヶ岳に登るクリヤ谷は、標高差1900mを一気に登る。長い。
それだけじゃなくて、雨に濡れた草木から水分がどんどん伝わってきて、いつの間にか靴の中がびっちょりになってしまう。
雨は降っていないのに、足がふやけ、結局ここでできた小さな靴ずれが水ぶくれになり、後半僕を悩ませた。
ほんの少しの違いが、後々になって大きくなってくる。

f:id:jkondo:20170812100044j:plain

笠ヶ岳の頂上に着いてもガスで展望はなく、「とりあえず1つ登ったな」という感じで稜線に入る。
森林限界を越えると、ようやくアルプスらしくなってきて、歩きやすくなる。

f:id:jkondo:20170812101434j:plain
f:id:jkondo:20170812110451j:plain

一度雨がザーッと降ってきてカッパを着る。
冷たい雨で、オーバーグローブも着用。持ってきてよかった。

しかしその雨もすぐに止み、次第に雲が切れてくる。
いよいよ大パノラマが見えてきた。

f:id:jkondo:20170812111728j:plain
f:id:jkondo:20170812111831j:plain

天気が良さそうなタイミングを狙ってきたとは言え、ちゃんと晴れてくれるとやはり嬉しい。
雲の隙間から槍ヶ岳が姿を現し、続いて穂高岳が見えてきた。
槍ヶ岳が妙に近く感じる。

f:id:jkondo:20170812133133j:plain
f:id:jkondo:20170812133145j:plain
f:id:jkondo:20170812134444j:plain

弓折岳を越え、双六山荘へ到着。懐かしの場所である。
ここは生ビールが飲める。飲みたい誘惑にかられるが、ここで飲んでしまえば、終了するだろう。
ぐっとこらえ、カレーを1.5杯食べた。
1杯じゃ足りないので、尾崎とわけっこしてもう一杯食べた。

小屋で大石由美子さんを見かけた。西鎌尾根に入ると、ノースフェースの小林慶太さんとすれ違った。
さらに進むと、アンドラでもお会いした野間陽子さんと石井さんともばったり。
僕は今回、アンドラの参加賞ジャージを着て歩いていたので、石井さんと出会うなり、
「あれ、アンドラに出られていた方ですか?」と声をかけて頂いた。

f:id:jkondo:20170812152124j:plain

「はい。Miticに出てました。そしてユーフォリアに出ていたお二人のことは知ってます」というところから、記念撮影。
また今月末には、モンブランでPTLにも参加するし、来年はユーフォリアで完走を狙う、と仰っていた。タフだ。

この区間、やたらと著名人に遭遇する。
そのたびに、ちょっとテンションアップ。
しばらく、すれ違った人の話をして、会話も弾む。
ということで、「著名人エイド」と名付けてみた。
(が、その後は誰とも遭遇せず)

f:id:jkondo:20170812161259j:plain
f:id:jkondo:20170812163034j:plain
f:id:jkondo:20170812163126j:plain
f:id:jkondo:20170812163037j:plain
f:id:jkondo:20170812164938j:plain

休憩中に、「西鎌尾根ってなんか好きなんですよね」って話したら、「僕もです」と山本さんが同意してくれた。
ですよね~。

あの、険しい感じとか、だんだん槍に向かって詰めていく感じが良いのかな。なんかテンション上がる。
そのせいか、槍が近付いてくると、いつの間にか僕のペースが上がっていたみたいで、「近藤さん、早くなってますよ」と後ろから声が。
ごめんなさい、止まれません。槍ヶ岳が僕を呼んでます。

f:id:jkondo:20170812172239j:plain
f:id:jkondo:20170812165045j:plain
f:id:jkondo:20170812165938j:plain

槍ヶ岳の肩に到着。2回めの補給。カップラーメン食べた。
営業中に着けて良かった。

「西鎌尾根に比べると、東鎌尾根って、ちょっといまいちですよね」という点でも山本さんと合意。
特に下りは、なんかがちゃがちゃしている印象。

一度下りきって、西岳への登り返しが急。岩の急登とか、ハシゴまで出てきて、めっちゃ急。
いよいよ疲れも出てきた。日も暮れてきた。さて、いよいよ、勝負どころっす。

f:id:jkondo:20170812181319j:plain

「ただ今の疲労度、30です」
「そろそろ70です」
とか、100点満点で疲労度を言い合いつつここまで来たけども、
ここに来て山本さんが、
「疲労度1000行きました」
と言い始めた。
いつのまに1000点満点になったんですか笑。

しかも1000って。まだコースの半分行ってないんですけども。
そうそう、山本さんは、まだオーバーナイトを歩き通したことがないらしく、さらに睡眠不足に弱いので、
「どこかで必ず寝ます。」
と最初から言ってた。
「ツエルトも持ってきたので、その時は僕を置いていってください」とのこと。

まあ無理にとは言わないんですが、僕も山本さんが降りるんなら、降りる気満々ですからね。笑
だけど僕はツエルトは持ってないんで、小屋で寝かせてもらうか、山本さんのツエルトに潜り込むか、どちらかです。
そういう時のために、ダウンジャケットは持ってきた。
一人で途方に暮れないためにも、誰かが寝ると言いだしたら、絶対僕もそれに添いますから。
そういう覚悟を決めてかかってますから。

という変な覚悟を心に決めつつ、後ろから着いていく。
前に立つと、どうにもペースを上げてしまうので、ほとんど後ろからついていった。

ヒュッテ西岳に辿り着くと、外で涼んでいたおじさんから「どこまで行くの?」と尋ねられた。
「大天井から常念を越えて、新穂高まで。夜通しで。」と説明すると、
「え?」という反応。
まさに空いた口が塞がらない、という感じで、苦笑されていた。
分かります、その気持ち。
僕だって、普通の登山で来ていたら、同じ反応しますから。

まさにここから夜に入る、というこのタイミング、一番信じられない感じがある。
「本当に行くの、ここから?」っていう。
「もう暗くなるよ。まじで?」って。

でも行くんだよね、これが。そういう旅だから。

大天井に向かうこの区間が一番やばかった。
天気が悪化して、あたりはガス。
展望もないし、真っ暗になってくるし。寒いし。
道もこれと言って変化はないし。
体力的にもいよいよつらくなってくるし。

山本さん、いよいよ1000超えちゃったんじゃないかな、と思いながら、
「山本さん、いまいくつですか?」
って聞いたら、
「今ねえ、70くらいです。」
って。
え?まさかの復活??確かに足取りが軽そう。ちなみに、尾崎はずっと安定してる。

自分もしんどいので、人のしんどさを聞いて安心しようと思っていたのに、かなりショック。
こんなにしんどいの、僕だけ?がびーん。

いよいよ来た。弱いところから、入り込んでくるやつ。
暗闇を、ぼてぼてと歩いていると、だんだん心がマイナスの方向へ向かい始めた。
最近ちょっとぼんやりしていた時の、あのモードに。
ああ、だめなんだよなあ、そっちに行っちゃあ。
分かっているんだけど、止められない。
はあ、ってため息が出そうな、あれ。

仲間と一緒なら、乗り越えられるかも、って思ったんだけどなあ。
やっぱりだめか。ここまでなのか。
きつい。

どんどん落ちていって、いよいよ「これはもう続けられないな」という気がしてきた。
こんな状態で、とてもじゃないけど、新穂高まで行ける気がしない。
一回寝るしかないべ。

大天井の山小屋で、朝まで寝て、明るくなったら上高地まで行って帰ろう。
それにしても、力が出ないや。

そういうところまで、落ちた。気持ちが。
大天井ヒュッテまで辿り着くと、「ちょっと横にならせて欲しい」と言って、
前室のベンチに、仰向けになった。
ちょっと何も考えられない。

ところが、宿の方が出てきて、「ここで何してるんですか」と険しい表情。
「勝手に入ってくるな」なのか、「こんな時間に行動するなんて非常識だ」なのか、分からないけど、とにかくゆっくり寝ていられる状況じゃないので、退散。

これでもう、完全に落ちました。底まで。
歩けません。

しばらく進むけど、全然歩けないので、諦めて座り込む。
よく考えたら、ここ2時間くらい補給してなかったかも。
ふと思いついて、ジェルを2つほど流し込む。
ヘッドライトも消して、空を見上げてみたら、満天の星空。天の川まで見える。
わお。なにこれ。すごい。

しばらくしたら、糖分もいきわたったみたいで、少し身体が暖かくなってきた。
そうか、お腹が空いていたのか。

やっと歩けるようになってきた。

大天荘に辿り着く。
最初はここで、朝まで眠ってやる、って思ってたんだけど、玄関に入って少し休んでいたら、また「行くか」という気持ちになってきた。
ここから面白いところでしょ。

何が面白いかって、自分に出会えるところでしょ。
自分の弱さ。

こういう時に、どういう弱さが出てくるのか。
それと付き合うことで、なぞれる感じがある。
夜になって、お腹が空いたら、ちょっと悲しくなってきて、自信も無くなってしまうんでしょ。
でも、食べ物食べたり、星を見上げたり、仲間と励まし合ったりしながら、乗り越えたよね、それ。
みたいな。
越えてみて初めて、知れる自分があるでしょ。
そういうのにまた、会いに来たんじゃないのかな。

いちごちゃんは一体、何に会えたんだろうな。
怖かったろうな。寒かったろうな。
だけど、自分に出会えたんじゃないかな。
そのために、行ったんじゃないのかい。

さっきまでは、僕よりはるかに元気そうだった山本さんが、今度は少し疲れ気味。
「また1000まで行きました」って言ってる。

「ひとまず常念小屋まで行きましょう。そこまではほとんど下りだし。そこでどうするか考えましょう」
と尾崎が言い、大天荘を後にする。
標高も、少し下げたほうが楽になるかもしれない。

夜空の中を歩き続けた。
途中で立ち止まって、またライトを消し、夜空を眺めた。
満天の星空だった。

しばらく眺めていると、流れ星が流れた。
1つ、また1つ。
「あ、また流れた」と3人で見上げていた。

友がいるって、幸せなことだ。

常念小屋まで辿り着くと、
「僕はここで朝まで眠ります。」
と山本さんが言い始めた。

ここまでの道のりでも、少し遅れがちだったし、後ろで一人で歩きながら、そう心に決めていた様子だった。
「このまま無理に行っても、またどこかで眠くなると思うし、足も引っ張ると思う。二人で行ってください」
と言う。

「ひとまず、1時間くらい眠りましょう。どっちみち僕たちも仮眠を取りたいですから。それからどうするか決めましょう。」
と仮眠。
2時間弱くらい眠った。(なかなか眠れなかったけど)

f:id:jkondo:20170829193116j:plain

時間は午前2時。さてどうするか。

尾崎は、
「(当初は徳本峠まで行ってから上高地に降りる計画だったけど)蝶ヶ岳から降りるルートに変更して、一緒に行きましょう。ゆっくりで良いので。ここまで来たら、最後まで一緒に行きましょう」
と話してる。

山本さんが僕に、
「近藤さん、僕を置いて、徳本峠まで回れたほうが良いんじゃないですか?」
と聞いてくるので、
「徳本峠まで行けるより、山本さんと一緒にゴールできる方がずっとうれしいです。」
と答えた。
迷わずはっきり答えた。

山本さんはもう、かなりつらそうにしていたけど、
「じゃあ行きます」
と体を動かし始めた。来た。これですよ。抜けますよ、壁。

「途中で多分ビバークすると思いますが、その時は先に行ってくださいね」
と山本さんが言うので、
「分かりました」
と言いながら出発。
そうはならないと思ってたけど、それは言わず。

f:id:jkondo:20170813033620j:plain

真っ暗の常念岳を、ゆっくり登って行く。
2時を過ぎると、他の山でも行動を開始する人が現れる。
なんと、常念岳から、槍沢を下り始めた人や、東鎌尾根を進む人などのヘッドライトが見えた。
すごい。人が見える。
今この時間、歩いている人がいる。
あそこにも、あそこにも。

そういえば、
「夜のなかを歩みとおすときに助けになるのは橋でも翼でもなく、友の足音だ。」
って、ベンヤミンが言ってたな。
友の足音。
まさにその通りだ。

あの稜線にも今、歩いている人がいる。
それがまた、元気のもとになった。

f:id:jkondo:20170813033232j:plain
f:id:jkondo:20170813033448j:plain
f:id:jkondo:20170813035022j:plain

長い時間をかけて、常念岳の上りと下りをクリア。
岩が多くて、下りも苦労する。

f:id:jkondo:20170813043800j:plain
f:id:jkondo:20170813044241j:plain
f:id:jkondo:20170813044308j:plain
f:id:jkondo:20170813044343j:plain

下りきった辺りで、空が明るくなってきた。
雲海の中から、見事な日の出だ。

f:id:jkondo:20170813045216j:plain
f:id:jkondo:20170813050614j:plain
f:id:jkondo:20170813050725j:plain

いよいよ、朝だ。
夜を越えたぞ。
今日は暑くなりそうだ。

f:id:jkondo:20170813062330j:plain
f:id:jkondo:20170813064532j:plain
f:id:jkondo:20170813064529j:plain
f:id:jkondo:20170813064517j:plain

樹林帯区間を抜けて、蝶槍に登ると、槍穂の絶景が見えた。
最高の景色。
もう眠くない。

清々しい風と景色に、元気をもらう。

蝶ヶ岳で和地さんと遭遇した。
ここで槍穂の眺望ともお別れ。

f:id:jkondo:20170813075014j:plain
f:id:jkondo:20170813075031j:plain
f:id:jkondo:20170813075202j:plain

長塀尾根の長い下り。
尾崎が早い。
全く走らない。ずっと歩いているのに、早い。
そう言えば今回、一度も走っていない。
どんなに緩い下りでも、ずっと歩いてる。
もはや、トレランじゃない。
なんていうの、こういうの。
どうでも良いか、名前なんて。

やっぱり登山慣れなのかな。
こんなに下りの歩きが速い人はじめてみた。
どうやったらそんなふうに下れるんだ、と思って、尾崎に必死でついていく。

「下りきったら、徳澤園でソフトクリーム食べましょう」
って言ってたので、ソフトクリームのこと考えながら。
しかし長い。

f:id:jkondo:20170813095511j:plain

下りきったら、すっかり昼近くになってた。
ソフトクリーム絶品。
ついでにカレーも食べる。

さて、上高地。ここまで来たら、あとは焼岳一つ。
ゴールも見えてきたんじゃないか。しかも3人で。

ちょっと、「俺たちやれるんじゃないか」感が一瞬出たんだけど、
ここからの平坦路で想定以上の苦戦。

観光客が家族連れで歩いているような道なんだけど、つらい。。
とにかく眠い。まっすぐ歩いていられない。
平坦な林道を歩きながら、気づくと目が閉じている。
そして暑い。上高地って避暑地じゃなかったっけ??

だめだ、つらすぎる。
ようやく明神館に辿り着いて、たまらず「ちょっと仮眠しましょうか」ということに。
やっぱりみんな眠かったんだ。

f:id:jkondo:20170813110045j:plain

突っ伏して、15分ほど仮眠。眠すぎる。

再び歩き出すけど、やっぱりつらい。暑い。
河童橋を越えてからも、長かった。
焼岳の登山口に辿り着く頃には、ふらふら。
気温は30度くらいあったと思う。
暑いのはダメなんです。

なんだかもう、熱中症のような感じになって、身体がフラフラする。
大丈夫かな。焼岳越えられるかな。
「ここまで来たら、さすがにゴールできるだろう」って思ったのにな。
ひとまず、水分不足が心配なので、多めにポカリを買って、焼岳に入る。

f:id:jkondo:20170813123944j:plain
f:id:jkondo:20170813132329j:plain

林道を離れ、登山道になると、急に空気が変わった。
日陰に、気持ちのよい風が吹く。
ああ~、こうじゃないと。
良かった、これならなんとか行けるかも。
尾崎が頭に水かけてくれた。

少し足がふらつくし、前の2人から少し遅れそうになるけど、歩くことはできる。
息がすぐに乱れて、やたらと呼吸が荒くなるけど、しっかり息をして前に。
ここもなかなかの急登が待っているけど、なんとか焼岳小屋に到着。

f:id:jkondo:20170813142232j:plain

山本さん、全然元気じゃないですか。眠ってもいないし。

さて、下ってゴールだ。さすがにここまできたら、ゴールできるでしょう。

下りはまた、尾崎の早歩き。
今度は2人とも、必死で着いていく。

舗装路に出て、今回はじめてのラン。
駐車場まで走って、ゴール。

f:id:jkondo:20170813155459j:plain

34時間かかりました。
距離70km、累積標高は約6200m。

良かった。3人でゴールできた。
それが何より。

だって、ね。
今回は、3人でゴールすることに、意味があったと思ってる。
そもそもここに来たのも、いちごちゃんが連れてきてくれたようなもんだしね。
仲間のことを、思う旅だったからね。
生きてる人、死んじゃった人。
常念岳の麓には、同じくいちごちゃんの山仲間の、池田さんとときちゃんもたまたま来てたって言うしな。
そういう集いだったのかも。

みんな、山が与えてくれたことだから。
命を奪うこともあるし、かけがえのない縁をくれることもある。
大きいよね、山。
それに比べると、弱いよね、人間。
でもそれがまた、愛おしいよね。

f:id:jkondo:20160828084352j:plain

Andorra Ultra Trailを振り返って

Andorra Ultra Trail Mític、時間は31時間。結果は84位でした。
45kmのMargineda前後の下りと上りで疲れを感じてからは、ペースがゆっくりになり、仮眠を取ったり、ふらふらしながらなんとか完走した、という印象でしたが、各チェックポイントの通過順位を見てみると、終始順位が上がり続けていました。(こちらの通過時刻表の 100/446 などと書いてあるのが順位。途中で急に順位が変わるのは無視。最初は150番くらいだったのが、140番、110番台になり、最後は80番台になっていったのが分かります)

f:id:jkondo:20170829075453p:plainf:id:jkondo:20170829075454p:plain

自分の中では、「後半ガタガタでどんどん崩れていった」という自己認識だったのですが、通過順位を見ていた人からは「どんどん順位を上げていってすごく良い走りでしたね」と言われて、「え?そうなの?」という感じでした。
それだけ、他の人はもっとペースが崩れていったり、途中でやめた人が多かったんだと思います。
長いレースは、何があるかわからないから、諦めちゃダメだ、とよく丹羽さんが仰っていて、そういうものなのかな?と思っていましたが、実際にそうだと思いました。しんどくても、諦めずに進んでいれば、周りの人もやっぱりしんどいし、そこそこの結果になったりもするんだな、と。
一応、Miticに出場した日本人の中では、のりさんと並んで一番順位が良かったみたいでした。

この大会の素晴らしいところは、ゴール後に、完走者はビールが飲み放題だということw。その他にも、完走者だけがもらえるメダルとフィニッシャーズジャージもあります。

f:id:jkondo:20170731140935j:plain

朝の5時にゴールして、シャワーを浴びて寝たのですが、7時には目が覚めてしまいました。朝食を食べていると、片岡さんと宮崎さんがゴール。片岡さんはRondaで日本人男性最高位(日本人最高位はもちろん丹羽さん)。宮崎さんはリタイアしたんじゃないかと思っていましたが、なんとあれから気持ちを持ち直して最後まで歩き続けたそうです。

f:id:jkondo:20170829170433j:plain

それからまたゴール地点に行き、ビールを飲みながら他の選手のゴールを見ていました。飲み放題なのを良いことに、朝から5杯くらいおかわりしました。

ゴール地点に帰ってくる選手の顔は、皆それぞれ、それぞれの道中を物語っています。その顔を見ていたら、途中でどれくらいつらいことがあったか、どんな思いを持ってゴールまでたどり着いたか、自分も走っている分だけ、余計に分かる気がしました。

特に格好良いのが、ユーフォリアの選手。かれこれ4,5日間歩き続けて、ついにたどり着いた2人。2人で励ましあって、長い道のりをやってきて、最後に抱き合い、涙を流す選手を見ていたら、こちらまで涙が出てきました。一体どれだけ大変だったんだろうと。そして、ここまでたどり着けて、本当に良かった、って。

www.instagram.com
www.instagram.com

なんて感動的なんだろう、って思いながら眺めていたら、反対側で丹羽さんも同じような顔で見てました。準優勝して、午後には表彰式で表彰される選手だというのに。

f:id:jkondo:20170829170434j:plain
f:id:jkondo:20170709161326j:plain

丹羽さんの表彰式を見届けて、その日の夜には、同じツアーで参加したメンバーで打ち上げの夕食会。
片岡さんは、「自分が何を成し遂げたのか、今はまだ良くわかりません」と言っていましたが、まさにそういう感じ。
全身に疲労感があるけど、まだ興奮していて、眠ることもできない。
完走はしたけど、これが自分にとってどういう意味があるのか、まだ良くわからない。

きっと何日かすると、どっと疲れが出るんだろうけど、とにかく今は、全身で充実感を感じている。
互いに励ましあった仲間と、喜びや悲しみを分かち合えている。それが楽しかった。

日本に帰ってみて、もっと長いレースに出たいと思うのか、しばらくいいや、と思うのか、なにか別のことを感じるのか、まだよく分からないけど、ひとまずよかった。うれしい。

充ちた気持ちを抱えて、帰路につきました。

f:id:jkondo:20170710123739j:plain

(完)