SHIGA1 FKT、コロナ

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6月1日から、丹羽薫さんと田口穣さんのSHIGA1 FKTのお手伝いをしてきた。
今回は、IBUKIで作ったシステムを使って、選手の位置情報を把握することになったので、そのシステム面の運用をしつつ、写真を撮影しつつ、その他必要そうなことがあればお手伝いする、という役割での参加だった。
基本的には選手のサポートチームやペーサーが揃っていたので、僕は比較的自由に動くことができたし、良い写真を撮ることが自分が一番貢献できることだと思ったので、撮影をメインにした。

そもそも、このFKTが行われるに至った経緯には、いろいろな事があった。
どういう経緯があったのか知りたい人も居るだろうし、あとから振り返ってみると、コロナという特殊な環境でどういうことが起きたかは貴重な記録になる気がするので、忘れないうちに覚えていることを書いておこうと思う。

経緯

まず最初は、昨年と同様に、シガイチのステージレースを開催することが検討されていた。
しかし、みんな去年の大会で少し疲れが出たのか、2020年大会に向けての準備はそれほど進まず、秋を迎えようとしていた。
僕の方は、仕事で新しい宿泊施設を11月末にオープンすることになっていて、オープン前後はかなりどたばたとしていて、なかなかシガイチに時間が取れない状態になっていた。

あまり動けない状態で、みんなに迷惑をかけるわけにもいかないと思い、10月頃に2020年大会のコースディレクターを務めることができない、という申し出をさせてもらった。
420kmにも及ぶコースを、選手が走れる状態に保つのは並大抵の労力ではできない役割だ。
それぞれの区間で誰かに担当者になってもらい、手分けして管理することもできるだろうが、それをまとめるにもそれなりに力が必要だし、何よりも、大会本番のゴールデン・ウィークは、旅行客がたくさんやってくる想定だったので、仕事が忙しくなる可能性があり、大会本番に現場に居られない可能性があった。
ここまで、仲間と一緒に作り上げてきたコースで、思い入れもあるし、これからも滋賀一周トレイルが発展していくことに関わっていきたいと思っている。その思いは特に変わらないが、2020年大会に限って言えば、責任を持てる状況にはなかった。

コースディレクターを引き継げる人は結局おらず、その他の準備も進んでいなかったので、この話をきっかけに、昨年と同じようなステージレースを開催するのは難しいだろう、という話の流れになった。

そこで出てきたのが、選手が自発的にFKTを行い、それをシガイチ実行委員会(以下実行委員会。実際にそのような実行委員会の存在はどこにも明記されていないが、ここでは、NPO法人滋賀一周トレイルを母体とする滋賀一周ラウンドトレイル実行委員会(的なもの)を指している)がサポートする、という案であった。

一部の選手が、ステージレースではなく、ノンストップのFKT的なイベントなら出てみたい、と言っている、という情報もあり、そのような形式であれば、あらゆるレベルの選手を想定したレースをやるよりは、準備の負担も減るだろうし、昨年とは違うパターンのイベントをやってみるのも、今後に向けて面白いのではないか、という話になった。

僕は自らコースディレクターを降りたこともあって、あまり口を挟まず議論を聞いていたし、その後実行委員会からも外れさせてもらったが、取り組みとして面白いと思った。

SHIGA1 FKTの参加者は、大々的に参加者を募るのではなく、昨年の大会に出場したか、スタッフをした人だけに絞るということで、あまり表に情報は出さずに、水面下で選手の募集ややり取りが進んでいった。

そんな中、昨年大会に出場した入江さん、池田さん、福島さんと、昨年スタッフで参加していた丹羽さん、阪田さんの5名が参加を表明した。
この5人が、ある程度自発的にサポートカーやスタッフを準備し、それを実行委員会がサポートするという想定で準備が進んでいった。

3月9日に参加者用のfacebook非公開グループが作成され、3月22日に参加予定者がアナウンスされ、この時点ではまだFKTは行われる前提で皆が動いていた。(今から思えば、比較的あとまで実施予定だったのだな、と感じる。)

コロナ

コロナの影響が、山の活動にも本格的に影響し始めたのは、確か4月上旬ころだっただろうか。
逆にそれまでは、そこまでの影響が出ること自体、想定できていなかった人も多かったように思う。
新型コロナウイルスの感染が拡大し始め、日本国内でもコロナの話題で持ちきりになり始めたのは2月くらいだっただろうか。
その頃は、閉鎖空間で行われるイベントは「密」を避けるのが難しいから大変だね。だけど山のイベントは、密にならないし、大丈夫だろう。ましてやFKTなんて、ごく少人数で行うのだから、どれだけイベントの自粛が広がるとしても、FKTが開催できないことはないだろう、と思っていた。

その後、3月12日に、UTMFの中止が発表された。この発表の中でも、「この判断はUTMFを行う上でのリスクを検討して出した判断であり、この大会が中止になるからと言って他の大会を中止にすべきだと言うわけではないので、それぞれの大会が、それぞれのリスクを適切に判断して欲しい」といった声明を出していた。

繰り返すけど、コロナウイルスが広がりはじめ、UTMFが中止になり、学校が休校になって、ライブハウスやキャバクラなども休業に追い込まれている状況でも、「さすがにFKTは感染リスクは低いし、実施できるだろう」と思っていた。関係者の多くも、思っていたと思う。

この頃に僕は、森田真生さんの数学ブックトークを聞きに行った。順番は前後するけど、3月1日のことだ。
このときは、世の中的にイベントの自粛も始まっていたが、一乗寺恵文社で予定通りイベントは行われ、50人ほどの参加者が集まっていた。
全員マスクはつけていたけど、普通に椅子を並べて、同じ部屋に集まって森田さんの話を聞いた。

話の内容は、やはりコロナウイルスを避けて通ることはできず、この世の中でどう生きていくべきか、が主題だった。
このブックトークの中で、僕が特に印象に残ったのは、「空気」の話である。
これからさらに新型コロナウイルスの感染が広がるだろう。その被害を抑えるために、慎重に行動をしなくてはいけない。
しかし、決して、他人の意見だけに流されてはいけない。空気に流されず、自分の頭で考え、自分の足で地面に立ち、自分の行動を自分で決めなくてはならない。
決して、他人の意見を鵜呑みにしたり、そのまま何も考えずにただその言葉を他人にばらまく(リツイートする)ことをしてはならない。
そのような行為が重なって、さらに「空気」が強まっていくことになる。
それはとても恐ろしいものである。

実際はもうちょっと違う内容だったかも知れないが、僕が理解し、強く意識した話は、こういうことだった。
森田さんは言明していなかったが、内田樹さんはブログの中で、そのような「空気」が、戦争のときに日本人を残酷な行動に走らせたのだと書いていた。
自分は決して、根拠も曖昧な「空気」に流されたりはしたくないし、ましてやその「空気」を強めるようなことに、安易に加担しない。
これが、僕が森田さんの話を聞きながら、自分の方針として決めたことだった。

空気の強まり

自粛ムードが強まり、「あれ?なんかおかしいな」と感じ始めたのは、4月に入った頃だった。
4月7日に東京をはじめとする7都府県に緊急事態宣言が出され、県外移動の自粛要請が行われた。
僕が一番最初に「怖い」と感じたのは、湘南の海岸にサーフィンに来ている人たちの中に、県外ナンバーの車がいる、として、県外から来ている人たちを非難している人がいると知ったときだった。
このニュースは、瞬く間に全国ニュースとなり、湘南海岸沿いの駐車場は一斉に閉鎖され、入り口に警備員が立つような事態になった。
その後も、県外ナンバーの車が来ていないか、自主的に見回る人が出始め、こうした人達は「自粛警察」と言われるようになった。

おそらく、このコロナ騒動が一段落したあとに、「どうしてあんなにもみんな躍起になっていたんだろう?」と思うだろうな、と感じた。
他人を非難している人は、基本的には正義感(コロナウイルスの感染拡大を少しでも阻止したい)で行動しているのだろうが、わざわざ駐車場を監視して県外ナンバーが居たら通報するほどの行動は、行き過ぎに感じたし、怖さを感じた。

一部の人々を、そうした行き過ぎた行動に駆り立ててているのは、まさに「空気」だと感じた。
世の中が緊急事態になっており、何よりもまず感染拡大防止が優先されるべきなのに、なぜあなたは県外に遊びに来ているのか?
日本中みんなが、そう思っているのだから、私がそれを代表して、制裁を加えます。
そのような心理なんだろうと思う。

しかし実際は、「みんな」がそう思っているわけではない。
少なくとも僕は、そう簡単に、何も考えず、「みんな」に入らないでおこう、と思っていた。
しかし、そのような自分の考えを、発言するのも怖くなる状況がどんどん迫ってきた。

湘南海岸に自粛警察が出ている、というニュースを耳にしていた頃は、まだ対岸の火事
遠く関東では、大変なことになっているみたいだね、なんて話している程度で済んでいた。
しかし、だんだんその波は、京都にも近づいてきていた。

実行委員会からの発表

4月4日、実行委員会はfacebookページで「今年のプレ大会は行いません」と発表した。
これは、もともと「昨年と同じようなステージレースは行いません」という意味の発表だったが、これを読んだFKT関係者からは、「FKTが中止になった」と誤解されてしまった。そもそも、GWに公式な大会があるとしたら、もっと前に告知があるだろうし、このタイミングで告知があるということは、FKTのことを言っているのだろう、と思われても仕方がなかった。
それはもともとは誤解だったのだが、そもそも本当に公式な大会は中止にして、やりたい人が自主的にFKTをやる、で良いのではないか?という意見が、選手側から上がり始めた。
もともとが、ある程度選手が自主的に行うという前提だったし、これ以上実行委員会の負担を増やさなくても、やりたい人が自主的にやれば良いじゃないか、という提案だった。
実行委員会はこれに乗っかる形になり、結局誤解を解かずに、そのまま実行委員会主導でのイベントは開催されないことになった。

残った選手で、「やりたい人が居たらいっしょにやりましょう」という形で、FKTを行う人を募る動きが始まった。
公式イベントが行われなくなったことで、2人は出場を断念した。
残るは3人で、GWにFKTを行う方向で検討を続けていた。

自粛要請

4月18日に、緊急事態宣言の対象地域が全国に広がり、京都や滋賀もすべて緊急事態宣言下になった。
県をまたいだ移動は自粛してください、という要請が出た。

日本山岳会をはじめとする山岳四団体が、共同で「登山自粛要請」宣言を出した。その宣言を追う形で、滋賀周辺の市町からも「登山自粛要請」が出された。
ここに来て、比較的安全だと思われていた登山にも、「自粛ムード」が高まってきた。

当初は、「密」を回避できる登山は、比較的安全なスポーツだと考えられていたが、その登山も自粛要請対象となったのだ。
その根拠は、登山は危険を伴うスポーツであり、もしも仮に登山中に事故などが起こり、病院に搬送されたりすると、コロナ対策で手一杯の医療機関に負担をかける、というものだった。
さらに、登山の前後で交通機関に乗ったり、地元の方との接触機会が発生することで、ウイルスの拡散につながる危険がある、ということも根拠の一つだった。

自粛警察は遠く対岸の火事だと思っていたら、琵琶湖沿いの駐車場もすべて閉鎖され、入り口には警備員が立っているということだった。
鈴鹿山脈の登山口にある駐車場も閉鎖された。
関東の山に関して言えば、登山口にもロープが張られ、登山道自体が閉鎖されているということだった。

あちこちでこのような状況になると、それが当たり前のように感じるのが不思議だった。
もともとコロナが拡がり始めた頃は、「登山は安全だから大丈夫だろう」と感じていた。
ウイルスの感染拡大リスクに限って言えば、そのように感じていた3月でも、あちこちの登山口が閉鎖されている4月でも、それほど変わったわけではない。
特に、人とほとんど会わない登山中のリスクは大きくは変化していなかったはずである。

では何が変わったのかと言えば、まさに「空気」だ。
「世の中でこれほど自粛が進んでいるのだから、登山も自粛するのが当然だ」という空気だ。
決して安易には、「空気」に流されないでおこう、と心に決めた自分ですら、「まあ、それも仕方ないかな」と感じるようになっていることが驚きだった。
そして、FKTの計画を進めている事自体が、何かやましいことをしている犯罪者のような気持ちになってきた。

ゴールデン・ウィークにFKTを実施する想定で準備をしていた丹羽さんも、緊急事態宣言下での実施は行うべきではないと判断し、延期することになった。
最初は延期時期を見計らっていたが、5月中旬くらいに「6月1日から実施」を想定し、スタッフやペーサーを確保していった。
丹羽さんのチャレンジを聞いて、トレイルフェストの田口さんも参加を表明した。

ちょうどその時期に合わせるように、5月21日に京都や滋賀の緊急事態宣言が解除、5月25日に全国で解除された。
山岳四団体からの登山自粛要請も取り下げられ、各自治体の登山自粛要請も取り下げられた。

恐らく、この文章を数年後に読んだら、「だったらFKTを無事に開催できたんだろう」と思われるだろう。
しかし実際は、そうではなかった。

緊急事態宣言が解除され、県をまたいだ移動の自粛要請や、登山自粛要請が解除された状況下で、丹羽さんがFKTを行うことを発表すると、さらに別の意見が出てきた。

ある夜、僕のもとに一本の電話がかかってきた。僕も信頼しているトレイルラン業界の方だ。
その方が言うには、
「ある方から連絡があり、今回の丹羽さんたちのFKTは、実施する時期が早すぎると思うので、どうにか延期させられないか」
という内容だった。
「緊急事態宣言も解除されたし、県外移動や登山自粛要請も解除されているが、なぜ延期すべきだと思われるのですか?」
と質問すると、
「トレイルランというスポーツ全体が、反社会的なスポーツだとみなされる可能性があり、そうなれば業界全体に悪影響が及ぶ」
ということだった。

僕はまず、そのまま何も考えずに丹羽さんに伝えることはしたくないので、一体誰がその要望を仰っているのかを聞いて、その方本人と話したい、とお願いした。
ご本人からは翌日に電話がかかってきて、1時間ほどお話することができた。
電話では、終始穏やかにお話ができたし、話せてよかったと感じた。
内容的には、想定外の内容は特になく、大体「こういうことかな」と予想していた範囲の内容だった。

僕は少し考えて、「お伝えいただいた内容を丹羽さんにお伝えするのは良いですけども、余計やる気になる気もしますよ」とお伝えした。(実際にそうなった気がする)
最初にお電話を頂いた方や、翌日にお話した方からは、「近藤さんはどういうスタンスなんですか?」と質問された。

僕の答えはこうだ。

「まず、山に入るには、常に死ぬリスクがあると思っている。
ある程度のレベルで登山なりトレイルランニングをする人は、そのことを自覚しているべきだと思うし、丹羽さんほどのレベルの人ならば、当然それは分かっているはずだ。
そんな人=要するに普段からある程度死も覚悟している人に、「山に入るな」と言っても仕方がないと思っている。
もしも本人が「やる」と言うなら、僕は止めるつもりはない。
ただ、やるのであれば、なるべく安全にできるように自分ができる努力をするつもりである。」

そのように答えた。

僕は3年前に、親しかった友人を山で亡くしている。
彼女はそれまで続けていた仕事を辞め、もしかしたらちょっと実力を越えていたかも知れない壮大なチャレンジに挑んだ。
そしてチャレンジが始まって2ヶ月後、帰らぬ人になってしまった。

彼女と親しかった共通の友人たちと一緒に、悲しみに暮れ、僕はしばらく山に行く力が沸かなくなってしまった。
僕が山にいる時は今も、心のどこかにその悲しみが内包されている。
悲しみは忘れ去れるものではなく、「死」もまた山の一部としてずっとそこにある。

大きな悲しみはしかし、大きな自然の一部として、山や自然に対する想いにより深みを与えてくれた。
よくよく考えてみれば、僕たちはもう少し、死ぬことに対して自覚的になっても良いと思った。
必ず人間は死ぬ。いずれどこかで必ず死ぬ。
その死をどうやって迎えるか。それまでの時間をどのように過ごすか。その中にあるのが人生だ。

死を覚悟して山に登る人は、死ぬリスクと山で得られる生の充実を天秤にかけ、山で得られる充実を選択しているわけである。
それは、コロナウイルスがあろうがなかろうが、普段からそうであって、むしろ一定レベル以上の山に行く人はそうあるべきだと思う。

これはもはや、生き方の問題である。
どのようなリスクを取り、どのような人生を生きたいのか。
それは本人にしか決められないことだし、他人がとやかく言えるようなことではないだろう。
リスクを一切無くすのが人生の目的なのであれば、車の運転もしない方が良いし、家から一歩も出られなくなる。
しかし、そんなものは僕は人生だとは思わない。

僕の友だちが亡くなった後に、「彼女の挑戦を止めさせるべきだった」と話す人が何人か居た。
僕は、死んだ後にそんな話をするくらいなら、行く前に本当に止めるか、何も言わないか、どちらかだろうと思った。
死んでしまってから評論家みたいなことを言って、一体何になるというのだ。
僕は彼女の挑戦を知ってからの行動を振り返り、やっぱり、彼女が本気で行きたいと思っていたのなら、送り出すしか無かっただろう、と思った。
そうやって挑戦した彼女の生き方を、死んでもなお、肯定したい。
彼女の力を信じて送り出した自分のことも、肯定したい。

もちろん、本人が全く気づいていない危険性があって、それを僕が知っている、というような状況なら話は別だ。
できるだけ早くその危険性について伝えて、対策を取るなり諦めるなりしてもらうだろう。
しかし、僕が知っているリスク要因が、本人も十分に分かっていることしか無いのであれば、それ以上に僕から伝えるべきことは無いと感じた。
だから僕は、そのようなやり取りがあった、ということだけ伝えた。
別に止めることもしなければ、勧めることもしなかった。
丹羽さんに話してみると、同じ話はすでに別のところからも伝わっていたようだった。

僕はただ、できるだけ安全な取り組みになるよう、協力をした。
コースの整備は、畝本さんや、丹羽さん自身が積極的に行い、迷いやすい道の草木を刈り込み、マーキングや反射テープをつけていった。
丹羽さんは、試走の段階で、すでに滋賀一周どころか、1周半くらい回っていたのではないだろうか。
僕もたまに整備に駆け付け、藪を払ったり、マーキングを手伝った。

リスクに関して言えば、コロナに関するリスクよりも遥かに、道迷いやケガ、遭難のリスクの方が高い。
FKTを安全に終わらせるためには、コロナ以外にたくさんやるべきことがある。

そうそう、僕の仕事の話に戻ると、当初春からGWにかけて忙しくなるだろう、と思っていた仕事は、コロナのせいですっかり状況が変わってしまった。
宿泊客の予約がぱったりと途絶え、本来忙しくなるはずが、全く違う状況になってしまった。
ビジネス上は大打撃だったが、ことFKTに関して言えば、随分と時間に融通が効くようになった。

そこで僕はまず、良いGPS端末が無いか探し始めた。
しばらく探していると、まさに今回の取り組みにぴったりの端末が見つかり、メーカーの方と連絡を取り合ってFKTに使えるようにしてもらった。
その端末を使って、選手とサポートの位置情報を把握できるシステムを急ピッチで開発し、間に合わせた。

また、携帯電話が通じない区間での通信手段を確保するために、無線機を買い揃えた。
ついでに、アマチュア無線3級の資格も取った。

結果的に、このGPS端末を使った位置情報システムは大活躍したし、無線も活用できたと思う。
丹羽さんと田口さんのFKTチャレンジは、残念ながら田口さんが途中でリタイアとなってしまったが、丹羽さんはFKTを樹立して完走し、二人の選手に大きな事故はなかった。
取り組みは成功したと言って良いだろう。

SHIGA1 FKTを終えて

僕が何を一番言いたいかというと、コロナのような非日常的な環境下において、普段は知ることができない人々の側面が見られる、ということである。
誤解がないように強く言っておきたいのは、僕は誰かを非難したいのではない。
人にはその人の考え方があるし、特にその考え方を否定したいとは全然思っていない。

今回の出来事を通じて、多くの人が葛藤と行動の選択をしたと思う。
選手がFKTを行うべきかどうか考え続け、決断をしたのはもちろん、それをサポートする人も、応援しようとしていた人も、止めようとした人も、だ。
それぞれの人が、考え、葛藤し、これが正しいのだろうか、と思いながら、自分の行動を選択したはずだ。
僕はその葛藤と、選択した行動に、その人の生き方が現れたと思っている。
FKTを見送る人もいれば、実行する人もいた。
全力でサポートした人もいれば、協力を控えた人もいた。
選手を必死で止めようとした人もいた。
ネットで応援する人もいれば、職場では外出を控えるよう言われているのにこっそり応援に駆けつけた人もいた。
それぞれの行動に、葛藤があったはずだし、その行動に僕はその人の生き方を見た気がする。

人によって考え方、生き方が違うのは当然なのだが、今回のコロナ、そしてFKTを通じて浮き彫りになったのは、普段の平和な生活では分からない違いがあるということだ。

政府が「自粛してください」と言えば、自粛を促すのが一番の目的になる人もいれば、どうにか自分なりに考えて安全性を確保し、活動をする方法を見つけようとする人もいる。

僕は活動する人を見て、できるだけ安全になるよう力を尽くし、手伝いをした。
自分はそういう考え方の人間なんだ、と知ることができた。

そして活動した人によって、歴史は綴られていくのだと思った。

僕が怖いと感じたのは、例えばこのブログを、1ヶ月前は決して書けなかったことだ。
FKTを手伝っていることを、怖くて書けなかった。

幸い、日本での感染拡大は落ち着いたため、徐々に日常生活が戻ってきている。今なら大丈夫だろうと思ってこの文章を書いている。
しかし、1ヶ月前には正直、書く勇気はなかった。

もしも、コロナの感染が収まらず、あと半年、1年間と期間が長引いていたら、一体どれくらい重苦しい世の中が続いていたのだろうか。
その渦中にいると、なかなかその異常さが分からない。
しかし、こんな内容ですら公開できないような状況が、ほんの1ヶ月前、この世界で実際に起きていたのだ、ということを、僕は忘れないでおこうと思う。

誰が良いとか悪いとか、そんなことを言うつもりはないが、なかなかお目にかかれない環境の中で、誰がどのように考えて行動し、自分はその時何を考えたのか。どう動いたのか。

忘れないうちに記しておいても良いだろう。
コロナとFKTが、自分を知るきっかけ、自分と山の関係、周りの人たちのことを知るきっかけを与えてくれた。
ありがとう。

イベントの写真はIBUKIのfacebookページで