夜の山を走る

夜の山をはじめて走ってみた。
トレランの練習で、大文字と将軍塚と(本当は伏見稲荷まで)走ろうと思ったんだけど、出発が5時半になり、日が暮れるのが確実になった。
でも、トレランレースも距離が長くなってくると、夜間も走るレースが出てくる。そうしたレースもいずれ目指すのであれば、少しずつ経験しておくのも悪くない、と思った。
そんな言い訳みたいな理由で、ご法度とも思える夜の山に入った。
人間はなかなか面白いものだ。自分の行動を、いかに頭で制限しているのか、がよく分かる。
これまで、夜に山を走るなんて、ほんとご法度。やってはいけないこと、くらいに思っていた。
なのに、世の中では夜に走るトレランレースもある、という事実と、僕もトレランをやっている、という自覚があるだけで、突然ヘッドライトを付けて夜の山道を走ってしまう。
山は何も変わっていないのに、今まで絶対やらなかったような行動に出ている自分に、少し驚いた。
ほんと、人間って、自分の考えで行動をしばっているんだな、と改めて思った。

それで、その夜道のトレランはどうだったかというと。
大文字から少し下った辺りで夕日が沈み、そこからは太陽が姿を消した。
まだ空は明るくても、木立に囲まれたトレイルは空よりもずっと早く暗くなる。
木に覆われると、ほとんどまっくらだ。
さすが、木は「たくさん太陽を浴びるための生き物」なんだな、ということを思い知らされる。
とても効率的に空を覆い隠してくれているおかげで、ずっと早く闇が訪れる。

前から持っていたペツルのヘッドライトをサンバイザーの上につけて、点灯。
初めてのナイトトレイルラン。
目の前の一部しか灯せないけど、とりあえず進むことはできる。
思ったよりは安全だな、と感じたけど、明るい時と同じペースで進む、という訳にはいかない。
登りはまだしも、下りは目の前の一歩を踏み出す場所が分かる程度なので、その先がどうなっているかもあまり分からず、スピードは出せない。
慎重に下った。

もう少し光量のあるタイプのライトなら、もう少しスピードを出せるのかもしれない。
本当に夜も走るウルトラトレイルに出る時が来たら、またライトも物色するとしよう。

それにしても意外だったのは、ライト一つでも、案外道が分かることだった。
以前に通ったことがある道だ、ということもあるかも知れないが、ちょっと前の方を照らすと、ぼんやりとトレイルの行く先が分かり、あ、こっちだな、というのがなんとなく分かる。これは意外だった。

大文字から蹴上に出て、一旦下界に降りた。もう町は夜だ。
ここから将軍塚に行くには、またわざわざ真っ暗の山に入らなくてはならない。
山の入口で、本当にこんな真っ暗な山に今から入るの?と、ちょっと躊躇した。
躊躇というか、なんというか、怖さ、というか、気が引ける感じというか。
「うーん、これ本当に進んで良いのかな」という感じ。
畏怖、とかに近いか。

でも、入ってみた。
いざ入ってみると、入り口よりもむしろ山の中のほうが落ち着いた。
真っ暗な道に慣れてくると、なんだか、明るい時間よりも山と一体感を感じる。
途中で動物が動く音が聞こえたりして、ちょっと怖い。
道は相変わらず目の前しか見えない。

でも、山の気配と、自分の気配だけがある世界。
むしろ意識レベルでは、山と一体化しているような、近さを感じた。
なんだか妙な落ち着きを感じた。
え、結構居心地が良いかも?

まだあたたかい季節だ、ということもあるかも知れない。
初めての高揚感もあるかも知れない。
でも、なんだか、真っ暗の山道に自分がいて、闇の一部になっている。
木立の向こうに京都市内の灯りが見え隠れしている。
でも僕は、闇の側にいる。
闇と一体化している。
なんだかそこに、妙な落ち着きを感じている自分がいた。

ここ、結構好きかも。

よくよく考えて見れば、山は一日の半分は夜だ。闇だ。
日本の7割は山だ。
その山の半分は闇だ。
広大な土地が、広大な闇の時間を持っている。
その時間は、これまで未開拓領域だった。
そうか、こんなところに、未開拓のフロンティアがあったんだ。
家から数キロしか離れていない裏山で、そんなことを思った。

夜の神社には近づくな、という感覚がある。
夜の山に入るのも、少しそういう怖さがある。
自然への畏怖のようなもの。

冒してはならないものを、冒すような背徳感が、若干はある。
でも、勇気を出して一歩踏み入れてみると、新しい世界が広がっていることも感じる。
ちょっと好きになるかもしれない。