鳳凰三山から光岳へ──大南アルプス、6日間のひとり縦走

最初のピーク、薬師岳にて

今年の夏、南アルプスを北から南へ、6日間かけて歩いた。鳳凰三山側の青木鉱泉から入り、最後は光岳を往復して畑薙へ下りた。大南アルプスの全ピークを取る挑戦としては、甲斐駒ヶ岳、西農鳥岳・農鳥岳、悪沢岳、丸山をカットしたため未達である。それでも、鳳凰三山から光岳までの主稜線を一人でつないで歩けたことは、今の自分にとって十分すぎるほど大きな出来事だった。

距離や標高差だけを見れば、準備段階からかなり無茶な計画だった。約134km、累積標高差は14,000mを超える。実際に歩くと、南アルプスの一つ一つの山は想像よりずっと大きく、標高差の数字だけでは測れない重さがあった。初日は不安でいっぱいになり、後半になってようやく自分なりの歩き方を見つけた。そんな6日間の記録である。

旅に出るまで

Great Southern Japanese Alps 2026

大南アルプスは、自分たちがここ数年続けている「大」シリーズの一つである。大北アルプス、大シガイチに続き、南アルプスを長くつなぐルートをつくった。イベントをつくる側でありながら、自分では南アルプス南部をほとんど歩いたことがなかった。今年のトランスジャパンアルプスレースのライブ配信にも関わるので、その未知の区間を自分の足で知っておきたかった。

もう一つ、パソコンの前にいる時間が続いた反動もあった。山に行きたくて始めたことなのに、気がつけば山のイベントでも画面を見ている。だから今回は、少し長めの休みを取って、自分で大きな旅をしてみたかった。

休みは7月20日から25日まで。ウネちゃんに手伝ってもらい、出発の一週間前に山小屋と交通を押さえ、6日間の行程を固めた。山小屋泊なのでテントや寝袋、調理器具は持たない。水で戻せる尾西食品のご飯、行動食、ドリンク粉末を二日分ずつに小分けにし、食料はおよそ3kg。準備はかなりうまくいった。ただ、計画の速さだけは、現地に入ってすぐに自分の実力に合っていないことを思い知らされることになる。

食料については、かなり真面目に考えた。小屋で夕食や弁当を頼める日、頼めない日を並べ、手元にある食料を一つずつ数え、AIにも相談して、二日ごとに袋を分けた。柿の種、グミ、カロリーメイト、ナッツとドライフルーツ、羊羹、ソルティーライチの粉末。水だけで戻せる尾西食品のご飯。行動中に何をどのくらい食べるかまで考えて、総カロリーは一万一千キロカロリーほどになった。こういう準備をしていると、いかにもちゃんと旅の支度をしている気になる。ただ、食料計画が完璧でも、身体が計画どおりに動くとは限らない。

大南アルプス2026 食料計画 - Google ドキュメント

装備も、今回は少しずつ更新していた。新しいメリノウールのTシャツとフーディ、アルトラのオリンパス、USB-C充電のペツルのヘッドライト。厚手のメリノ靴下も二足を交互に使った。匂いはほとんど気にならず、クッション性もよかった。ただ、後になってみると少し蒸れやすく、足裏の水ぶくれにはつながったかもしれない。長い旅では、何か一つの装備が絶対に正しい、ということはなかなかない。

1日目 予定が崩れ、仙水小屋に救われた日

青木鉱泉を朝5時に出た。最初はカズミンさんと俣野くんが一緒だった。二人は日帰りの予定で、後半に必要な食料も一部運んでくれていた。

青木鉱泉で出発前に。カズミンさん、俣野くんと

前日は野沢温泉でのライブ配信の仕事を終えてから移動し、眠れたのはほとんど三時間だった。今思えば、初日から順調に歩けると思っていた方がどうかしていたのかもしれない。でも、そのときは「一人になれば自分のペースで進めるし、鳳凰山までの遅れくらいは取り返せる」と本気で思っていた。最初の上りで少し遅れても、後半は軽くなる。そういう、都合のよいイメージを持っていた。

ところが、前日の仕事と短い睡眠の影響もあったのか、最初の急登からまったく身体が動かなかった。汗が止まらず、水も予想以上の速さで減った。鳳凰三山を越え、高嶺で二人と別れてからは、重い荷物を背負って早川尾根を一人で進んだ。早川尾根小屋は無人で、人にもまったく会わない。静かな尾根で思うように進めないと、不安だけがどんどん大きくなった。

アサヨ峰へは、標高差にすれば300mほどだった。それなのに何度も座り込み、「なぜこの程度の登りにこんなに時間がかかるのか」と考えた。焦ってカーボンストックに体重を預け、下りで一本を折ってしまった。仙水小屋に着いたのは16時半ごろ。夕食には間に合ったが、計画を作り直す必要があることは明らかだった。

朝、鳳凰山の時点では三十分から一時間程度の遅れだった。そこからなら何とかなると思っていた。それが早川尾根では、登りに入るたびに息が上がり、汗が出て、時計と計画表を見比べるたびに遅れが広がった。「4時に小屋へ着ければ夕食には間に合う。4時なら大丈夫」と自分に言い聞かせていた基準すら、だんだん怪しくなっていった。山小屋の人に怒られるのではないか、夕食に間に合わないのではないか、という心配まで出てきた。初日から、身体のしんどさよりも、焦りがしんどかった。

早川尾根を、アサヨ峰に向かう

仙水小屋には自分ともう一人しか泊まっていなかった。小屋のお母さんが温かく迎えてくれ、同泊だったスガさんが折れたストックを直してくれた。綿を詰め、強力な補修テープでグリップとポールを固定し、Zポールのワイヤーが外れないよう他の部分まで補強してくれた。その修理は、結局その後の6日間ずっと持った。初日の終わりに、見知らぬ人の技術と親切に救われた。

ストックは、手で握るグリップとカーボンポールのつなぎ目が、繊維ごとボキッと折れていた。もうダメだと思っていたら、スガさんが「ちょっとやってみていいですか」と言った。グリップを残ったポール側へ少し差し込めばいけるかもしれない、と。しかも補修用の強いテープまで持っている。山にいる人の装備と判断力はすごい。自分の持ち物だけでなく、スガさんの持ち物とスガさんの技術で、旅の大事な道具が生き返った。あのときの頼もしさは、今でもかなり鮮明に覚えている。

この夜、全部のピークを取ることは諦め、山小屋に確実に着くことを優先する、と決めた。まず翌日の甲斐駒ヶ岳をカットした。

2日目 仙丈ヶ岳、三峰岳、間ノ岳を越えて北岳山荘へ

仙水小屋を3時43分に出発した。真っ暗な下りは意外なほど軽快だったが、北沢峠からの1000mの登りに入ると、また身体は重くなった。それでも前日のように焦らず、淡々と登った。小仙丈ヶ岳から森林限界を越え、仙丈小屋で水と食料を補給して、仙丈ヶ岳に8時8分に立った。

小仙丈ヶ岳に登ると、眼の前に仙丈岳の美しい山容が姿を表す

この日は、前日より少し落ち着いていた。一晩寝るだけで、身体が劇的に回復するわけではない。でも暗い下りから始められること、朝はまだ暑くないこと、それだけで随分気持ちが違った。登りに入れば遅いのは変わらない。だからこそ、ここで無理に取り返そうとせず、遅いなりに淡々と動き続けることだけを考えた。

仙丈ヶ岳の先の仙塩尾根は、北アルプスのような大パノラマの稜線を想像していたが、針葉樹と苔、シダの続く深い樹林帯だった。高望池で水を汲み、大南アルプス参加者の佐々木さんとも会って情報交換した。人に会えない時間が長いだけに、その短い会話がとても嬉しかった。

樹林帯が続く仙塩尾根

警戒していた三峰岳には14時10分ごろに到着した。前回のトランスジャパンアルプスレースで優勝した土井陵選手が、インタビューで「三峰岳がつらかった」と話していたので、こちらとしては相当身構えていた。つらさの正体は、直前の登りというより仙丈ヶ岳からの長い距離だったのだと思う。その先、ガスと風の中で間ノ岳へ登った。標高3,189m、日本で三番目に高い山の山頂には誰もいなかった。景色も見えず、ただ風とガスの中に一人だけいた。それでも北岳山荘までは下り基調だと言い聞かせ、16時に到着した。

三峰岳、そして間ノ岳へ

甲斐駒ヶ岳をカットし、早く出て、ようやく当初の予定時刻。自分の計画には毎日二、三時間の余白が必要だと、この日も確認した。

山頂で一人、ガスと風に包まれていると、ここが日本で三番目に高い山だという事実が、少し現実離れして感じられた。日本で二番目に高い北岳を前日に見て、三番目の間ノ岳もこうして一人で通過している。でも、山頂を踏んだことより、あと一時間で小屋に着けるか、食事に間に合うか、という方がそのときの自分には切実だった。長い縦走では、名峰の山頂に立った喜びと、現実的な行程管理がいつも同時にある。

標高3000m稜線を進み、ついに北岳山荘が姿を表す

北岳山荘では多くの登山者と同じ部屋で眠った。充電、身体を拭いて着替えること、翌日の水と行動食を準備すること、そして小屋のビール。これが毎日のルーティンになった。山小屋での会話では、「仙水小屋から来た」と言うだけで驚かれた。自分では遅さにばかり目が向いていたが、普通の登山者の行程と比べれば、十分長い距離を進んでいる。それを人との会話の中で少しずつ受け取れた。

3日目 夜の北岳と、長い塩見岳

翌日は当初、北岳、農鳥岳を往復してから塩見岳を越える、28kmの計画だった。今の自分には無理だと分かっていたので、西農鳥岳・農鳥岳は早々にカットした。ただし、南アルプス最高峰の北岳だけは踏みたかった。

朝2時、荷物を北岳山荘に置いて、最小限の装備で北岳へ向かった。山頂に立ったのは2時54分。風はあったが、恐れていたほど寒くない。ヘッドライトを消すと、星空と遠くの街明かりが見えた。日本で二番目に高い場所に一人で立ちながら、遠い人の営みを眺めた。怖さよりも、山と自分だけに集中できる静けさがあった。

朝2時にそんな高い山へ向かうことには、最初は少し怖さがあった。止まると風が冷たいし、誰もいない。けれど歩き始めてみると、自分と山と、ヘッドライトが照らす道しかない。暑くないから汗もかきにくい。昼よりむしろ歩きやすい。余計なものが削ぎ落とされて、いま足をどこに置くか、呼吸をどう保つかだけに集中できた。怖さを越えると、その単純さが心地よかった。

午前2時56分、誰もいない北岳山頂にて

この夜の体験以降、日の出前の時間が好きになった。昼より汗をかかず、世界がシンプルになる。旅が進むにつれ、出発時刻はさらに早くなっていったが、その時間帯を自分のものにできた気がした。

間ノ岳、三峰岳を戻り、熊ノ平で水とカップラーメンを補給した。その先の樹林帯は単調で眠く、何度か5分だけ座って眠った。

苔と針葉樹の幻想的な仙塩尾根

北荒川岳に出ると、景色は一変した。崩壊地の向こうに、巨大な塩見岳が現れた。雄大で、威圧的で、「あれに今から登るのか」と一気に目が覚めた。

樹林帯の尾根道を抜けると、突如として塩見岳が圧倒的な存在感で姿を表す

北荒川岳から塩見岳は標高差350mほどなのに、2時間かかった。京都の大文字山なら400mを一時間以内で登れることが多いのに、なぜ進まないのか。荷物、標高、岩場、暑さ、疲労、そして南アルプス特有の大きなアップダウン。数字だけで山は測れない、と何度も感じた。

塩見岳を越え、急な岩を下って塩見岳を振り返る

急な岩場を下って塩見小屋に着いたのは12時50分。周りの人がその日の行動を終えてくつろぐ中、自分はさらに三伏峠へ向かった。最後の三伏山への200mの登りにも40分かかり、三伏峠小屋に15時に到着した。長い一日を終えた安心の直後、薄着で過ごしていたら寒気と震えが出た。熱や疲労の影響だったのかもしれない。厚着をして横になり、食事を取って、18時には寝た。

4日目 自分のペースを見つけた日

4日目は三伏峠小屋を2時半に出た。前夜、IBUKIチームとうっしーさんから一時間二十分を超える応援音声が届いていた。山小屋のWi-Fiはなかなかつながらなかったが、ほんの一瞬つながったタイミングでダウンロードできた。真っ暗な尾根でその音声を聞き始めると、仲間が楽しそうに話す声に本当に元気が出た。

それまで、ショックスでオーディブルを聞くことも試していた。池ちゃんこと池田さんが紹介していた『イン・ザ・メガチャーチ』である。現代のファンコミュニティや推し活の周辺にいる人たちを描く小説で、社会現象としても、マーケティングを考える材料としても、とても興味深かった。ただ、山で疲れて不安になっているときに聞くには、少し先行きが暗くなるような内容でもあった。面白いのだが、元気が出るという種類の面白さではない。

その対極にあったのが、みんなが作ってくれた応援音声だった。うっしーさんは「近藤さんクイズ」まで用意してくれていた。好きなアニメーション作品は何か。バニラアイスに必ず入れるものは何か。好きなピクサー作品を、インサイド・ヘッド、レミーのおいしいレストラン、リメンバー・ミーの三択で問う。答えは『レミーのおいしいレストラン』だった。クイズの中でその理由は短くしか触れられていなかったので、歩きながら声日記であらためて補足して返そうと思った。せっかくの一時間二十分を、倍速にせず等速で聞いた。少しでも長く、仲間の声と一緒に歩いていたかった。

なぜ『レミーのおいしいレストラン』が好きなのか。自分にとってあの作品は、単に料理がおいしそうな映画というだけではない。周囲の常識や偏見からすれば、料理をするはずのない存在であるレミーが、自分の才能を隠さずに生かしていく。誰かを「こういう人だから」と決めつけず、思いがけないところにある能力を見つけ、それを認めて応援する。そういう世界が好きなのだと思う。

新しい才能や、意外な才能が現れるときには、未来への希望がある。たぶんそれは、山で人と話していて元気をもらうこととも少しつながっている。自分だけの見立てだけで進むより、いろんな人の存在や力を受け取った方が、行ける場所は広がる。そのことをまっすぐ描いているのが『レミーのおいしいレストラン』の好きなところである。

小河内岳で夜が明ける

応援音声への返事として、自分のポッドキャスト「声日記」を録音しながら歩いた。小河内岳のあたりから、歩きながら一時間二十分ほど話していたら、いつの間にか高山裏避難小屋の手前まで来ていた。応援を受け取り、自分の言葉で返す。その時間が、孤独だった朝をあっという間に終わらせてくれた。

高山裏避難小屋のご主人はとても話しやすい方だった。荒川岳への道を、目の前のカールを「ここからあの斜面を直登していく」と説明してくれた。地図の標高差やコースタイムだけでなく、実際の山を見ながら、自分がどこからどこへ登っていくのかを理解する。先を把握できると、不安がずいぶん軽くなる。人と話すことは時間を使うことではなく、進む力を得ることなのだと分かり始めた。

荒川岳に直登するカールを振り返る。向こうには、高山裏避難小屋が見える

それまでの自分は、会話をすると行程が遅れるような気がしていた。止まって話すより、少しでも前に進んだ方がいい、と。でも長い縦走では、その考え方はかなり片手落ちだった。水場の状態、登りの雰囲気、小屋までの感覚、他の人がどのくらい歩いているのか。何気ない会話の中に、地図にはない情報がたくさんある。そして、誰かと数分話すだけで、孤独の中で固くなっていた気持ちがほぐれる。以後、会った人とはできるだけ話すようになった。

この日から、話せるくらいのペースを意識した。息が乱れると話せなくなるので、負荷の目安として分かりやすい。やがて話す内容が尽きると、今度は自分との対話になった。何かを聞いて気を紛らわせるのではなく、山の中で一人で考え、声に出し、身体の状態を見る。4日目にして初めて、本当に南アルプスを歩いている感覚が出てきた。

荒川中岳にて、眼の前にそびえる悪沢岳と、その向こうの丸山への往復を断念する。いつかまた来よう

荒川中岳で、悪沢岳と丸山の往復はカットすると決めた。両方へ行けば二、三時間かかる。丸山を取れないなら、悪沢岳だけを無理に取るより、予約している百間洞山の家へ確実に着くことを選ぶべきだった。

荒川小屋から赤石岳へ向かうトラバースは、この旅で最も好きな区間の一つになった。花のある大きな斜面を、赤石岳へ向けてゆっくり登る。チベットか、どこか遠い山岳地帯にいるようだった。ここで久しぶりに、心の底から山歩きが楽しいと思えた。

荒川岳から赤石岳に向かうトラバース道。心から楽しいと思って歩けた

初日から三日目までは、楽しむより先に「今日の小屋へ着けるか」があった。もちろん景色は見ていたし、山にいる喜びもあった。でも心の中心には、ずっと時計と計画があった。4日目のこの斜面では、少しだけその緊張が外れた。きれいな山に向かって歩くこと自体が楽しい。そんな当たり前の感覚が、ようやく戻ってきた。

赤石岳に上りながら、荒川岳を振り返る。この区間はぜひ歩いてみてほしい

午後は暑さにやられ、赤石岳の後半から百間洞までがきつかった。それでも15時30分、百間洞山の家に着いた。計画には遅れたが、初日から続いた「必ず小屋に着く」という目標は守れた。

5日目 踊るように登り、兎岳で兎に会う

百間洞では、縦走者どうしの会話が楽しかった。三伏峠から来たことや、光岳まで行く予定を話すと、多くの人に驚かれ、応援してもらえた。ただ、回復のためには寝ることが最優先だった。毎日18時ごろには寝て、自然に1時台に目が覚めたら起きる。早い時間に眠れることは、今回の自分の大きな武器だった。

とはいえ、疲労と痛みは積み上がっていた。膝、足首、足裏の水ぶくれ。小屋でサンダルに履き替えると足を引きずるほどだった。それでも一晩眠ると少し楽になり、歩き始めれば進めた。

5日目は比較的短い行程だったので、大沢岳もカットせずに往復した。朝2時半に出て、3時半ごろに大沢岳へ。兎岳へ向かう登りでは、前日までの「話せるペース」からさらに進み、踊るように登ることを思いついた。呼吸を乱さず、足を止めず、無駄のない動きで、ゆっくり一定に身体を運ぶ。兎岳は登り始めから山頂まで一度も止まらずに登れた。うれしくて山頂の道標に抱きついた。

夜明け前の小兎岳と、兎岳

話しながら歩く方法は、自分に合っていた。ただ、当然ながら一人で話せることには限りがある。過去のことを振り返り、最近考えていることを自分で解説し、自問自答する。そこまで話すと、だんだん話題が尽きる。そこで今度は、言葉ではなく呼吸と動きに意識を向けた。歩くことを、ゆっくりしたダンスか舞踏のように考えた。足を上げる、置く、身体を前へ運ぶ。その一つ一つを慌てず、きれいに、呼吸を乱さずに続ける。兎岳の登りは、その感覚が一番うまくはまった。

夜明け前の兎岳で、後ろ足でぴょんぴょん跳ねる本物の兎を見た。新しい歩き方を見つけた自分を、山に祝福されたような気がした。

兎岳から、小兎岳、中盛丸山、大沢岳を振り返る

その後、全縦走中のバヤシさんと出会った。自分は北から南、バヤシさんは南から北へ。互いに「全縦走組ですね」と意気投合し、連絡先を交換して写真を撮った。細い岩尾根では道を間違えた登山者を案内することもあった。人に会うことが少ない山域だからこそ、出会いの一つ一つが濃くなる。

奥聖岳からは、雲海の上に頭を出す富士山が見えた

前聖岳、奥聖岳を往復して、そこから聖平小屋へと向かう。

道は上河内岳、光岳へと続いていく

聖平から聖岳を振り返る

聖平小屋で水を補給し、コーラを飲み、一休みして、上河内岳へ登った。途中で縦走ツアーの一行と話しながら歩いたのも楽しかった。上河内岳から北を見ると、聖岳、赤石岳、その先に荒川岳まで見えた。靴と靴下を脱ぎ、風に足を当てながら、ここまで越えてきた山を眺めた。水ぶくれは痛かったが、少しずつ達成感が生まれてきた。

上河内岳にて、これまで歩いてきた聖岳、赤石岳、荒川岳を振り返る

長めの休憩では、靴を脱ぎ、靴下を裏返し、足も靴も乾かすようにしていた。両足の親指の内側とかかとの外側には水ぶくれができていて、ふやけると痛みが増す。景色のいい場所で裸足になり、岩に足を伸ばして風を当てる。急いでいる旅のはずなのに、そういう時間を取らないと後が持たない。上河内岳は、ここまで来た山々を眺めながら、足を休ませるのにちょうどよい展望台だった。

最後の滞在となった茶臼小屋。水が冷たくて美味しかった

茶臼小屋には14時過ぎに到着した。今回もっとも早い小屋到着だった。途中で大南アルプス参加者の竹田さんとも出会った。地元の山を知り尽くし、圧倒的な勢いで進む姿を見て、トランスジャパンを目指す選手たちのすごさを改めて感じた。

6日目 光岳チャレンジと、畑薙までの下山

最終日の課題は光岳だった。茶臼小屋から光岳を往復し、畑薙へ下りて14時30分のバスに乗る。茶臼小屋にいた登山者たちと話すと、光岳往復には五〜七時間かかるという。下山も三、四時間、さらに畑薙湖沿いの道路歩きもある。普通に考えれば厳しい。

そこで、17時に寝て0時半に起き、1時に出る案を出した。片道四時間で、5時までに光岳へ着かなければ引き返す。居合わせたみなさんとあれこれ相談し、この「光岳チャレンジ」の計画ができた。

実際には0時40分に茶臼小屋を出た。大きなザックは小屋に置き、軽いトレランザックに水、食料、レインウェアだけを入れた。軽装なら走れそうにも思ったが、ストックを置いた身体は驚くほどふらついた。五日間ストックに支えられて歩いた影響か、暑さや睡眠、栄養、疲労の影響か。飲み会の帰り道のような千鳥足で、転ばないように進んだ。

前日までずっとストックを使っていたので、身体はもう四足歩行に近い感覚になっていたのかもしれない。ストックを置けば速く走れると思ったのに、二足だけで下りに入ると平衡感覚が変だった。熱や水分、食事、睡眠、五日間の疲れのどれが主因だったかは分からない。たぶん一つではない。ただ、走れる状態ではないとすぐ分かったので、転ばないことだけを優先した。

易老岳に水を一本デポし、三吉平からの登りを越えて、光岳に着いたのは3時51分。往路は約3時間。霧で展望はなかったが、暗い山頂で写真を撮り、すぐに引き返した。往復18km以上あることを、前日まで正確には把握していなかった。知っていたら少しひるんだかもしれない。

前夜の相談で、「水は1.5L持っていき、易老岳に一本置いて、帰りに回収すればいい」と教えてもらっていた。そのとおりにした。小さなアドバイスだが、長い往復ではとても効いた。三吉平から光岳へは、最後に400mほど登る。大きなアップダウンは少ないルートだと聞いていたので助かった。それでも、暗い中で一人、ふらつきながら登っていると、光岳はなかなか近づかない。山頂近くの光小屋にはテントの人や出発の支度をする人がいて、そこで初めて少しほっとした。

帰り道では、また新しい歩き方を見つけた。大股で登るとふらつき、脚に力が入らない。そこでペンギンのように小股でちょこちょこ登ってみると、驚くほど安定した。息も上がりにくく、別の筋肉が使えるのか、意外に速い。長い縦走の終盤には、また別の身体の使い方が現れた。

光岳からの帰り道、三吉ガレでようやく空が明るくなり始める。光小屋を早朝に出た2人の登山者と

「ペンギン歩き」は、言葉にすると少し格好悪いが、かなり実用的だった。大股でぐっと踏ん張ると、疲れた脚には大きな負荷がかかるし、ふらつきも大きくなる。小さく、ちょこちょこと、地面に近いところで足を運ぶ。すると安定する。もしかすると、それまであまり使っていなかった筋肉を使えたのかもしれない。話せるペース、ダンスのような登り、ペンギン歩き。日を追うごとに、自分の身体と折り合う方法が増えていった。

最後に通ったピーク、茶臼岳。これで縦走も終わりだ

7時に茶臼岳、7時半に茶臼小屋へ戻った。これでバスには間に合う。稜線から下りる前に、靴と靴下を脱ぎ、岩に座って明るくなった山並みを眺めた。これで南アルプスの主稜線を離れるのだと思うと、感慨があった。

下山は永尾さんと一緒になった。最初の登りをカズミンさんと俣野くんと一緒に歩き、最後の下りを永尾さんと歩く。始まりと終わりに相棒がいたことが、何だか象徴的だった。

茶臼小屋へ戻って荷物を整えていると、「今から下ります」という永尾さんに会った。永尾さんは畑薙湖の臨時駐車場に車を置いていて、白樺荘まで送ってくれるという。最終日は一人で下るつもりだったので、これは本当にありがたかった。山の道が終わった後の、長くて暑い下りも、誰かと話しながらなら気持ちが違う。

標高差1500mを下る道は、後半になるほど厳しかった。吊り橋、鉄橋、落ちそうなトラバース、ヤレヤレ峠の登り返し。そして畑薙の大吊橋。揺れる二枚板の上から数十メートル下の湖が見え、かなり怖かった。

永尾さんと大吊橋を渡る

橋を渡っても、畑薙湖沿いのアスファルトが残っていた。照りつける太陽と硬い路面が水ぶくれに刺さる。耐えきれず、出発前日に飯山のワークマンで急に買ったサンダルへ履き替えた。これに救われた。最後はパトロール中の地元山岳会の方に車で少し乗せてもらい、永尾さんの車で白樺荘へ。13時10分ごろに着き、一週間ぶりの風呂に入り、カツ丼を食べ、バスに乗った。

6日間歩いて分かったこと

これまでサイクリングでは50日ほどの旅をしたことがある。高校のワンダーフォーゲル部でも5日間の夏合宿はあった。ただ、一人で山小屋をつなぎながら6日間歩くのは初めてだった。

二、三日なら、多少の無理や勢いで乗り切れるかもしれない。でも四日目、五日目、六日目になると、ごまかしが効かない。本当の体力、本当の疲労、自分に合ったペースが出てくる。話せる速度で歩くこと。踊るように身体を運ぶこと。ペンギンのように小股で登ること。どれも長い時間を歩いたからこそ見つかった。

そして、一人で歩いていたからこそ、人の力もよく分かった。準備を手伝ってくれたウネちゃんやうっしーさん。初日に一緒に歩いたカズミンさん、俣野くん。ストックを直してくれたスガさん。道中で出会った大南アルプスの仲間や登山者のみなさん。山小屋の方々。最後に一緒に下った永尾さん。自分の体力だけで進んだわけではない。情報をもらい、励まされ、助け合いながら進んだ。

大南アルプスの挑戦は未達だった。けれど、鳳凰三山から光岳までの大きな山脈を自分の足でつないだ。トランスジャパンアルプスレースの南アルプス区間をほぼ歩けたことも、これからの配信やイベントづくりに必ず役立つと思う。

今回、甲斐駒ヶ岳、西農鳥岳・農鳥岳、悪沢岳、丸山の五つを取れなかった。大南アルプスの挑戦としては、ここはきちんと未達である。カットした理由を並べれば、すべてもっともらしい。でも、計画を最後まで守れなかったことも事実だ。ただ、初日に計画が崩れてから、無理に取り返して山小屋へ着けなくなるよりも、毎日予約している小屋へ確実に着くことを選んだ。その判断の積み重ねがあったから、最後に光岳までつなげられたのだと思う。

何より、今回の目的は完走記録を一つ増やすことだけではなかった。大南アルプスをつくる人間として、トランスジャパンアルプスレースの配信に関わる人間として、選手たちが通る南アルプスを自分の身体で知ること。その目的は、かなり果たせた。荒川岳から赤石岳へのトラバースも、塩見岳の岩場も、夜の北岳も、光岳チャレンジも、地図や映像だけでは分からない重さとして身体に残っている。

南アルプスは人が少なく、山が大きく、思い通りにならない。それでも、その分だけ山と自分に向き合い、人との出会いを深く受け取れる。もし時間を取れる人がいるなら、四日以上の長い縦走を、できれば南アルプスで、一度はやってみてほしい。厳しいし、思い通りにならない。でもその分、きっと得られるものがある旅になる。

茶臼小屋の分岐にて。南アルプス主稜線との別れ

Kyoto Mount Chopで出し切りました

スタート前集合写真 (Photo by Susumu Saishoji)

2021年の春に100マイルを走ったあと、あまり走らなくなって、体重は増えるし、トレラン関係の皆さんからは、「近藤はもう引退したのかな」と思われていたと思います。

その後、LAKE BIWA 100や滋賀一周ラウンドトレイルという大会の立ち上げに関わって、立ち上げの過程であちこち調整で奔走したりしていて、さらにIBUKIというGPSラッキングの事業の立ち上げの時期も重なった1年半くらいでした。

もともと、ネットの仕事ばかりでちょっと疲れたので山にでも行ってみよう、と思って始めたトレイルランだったのに、ふと気づくとレース会場でもパソコンに向かって選手の皆さんが道に迷っていないか確認したりしていて、「なんで山に行きたいと思って山を始めたのにいつの間にかパソコンに向き合うことになってんだ?」「やっぱり僕はここに戻ってきてしまうのか。。」という心境になりながら、ひとまず目の前のやるべきこと、自分がやらないとどうにもなら無さそうなところに集中して一つ一つやることをこなしていたんですが、ふと気づくと体重がまた7キロくらい増えて75キロ近くになっているし、LAKE BIWA 100とかシガイチとかの関係者から、「近藤さんも出ないんですか?」って聞かれるけど、選手の様子を見ていても、全く自分には完走できるイメージが持てない、という状態になっていました。

今年の5月のシガイチの直前がいろいろ一番忙しくて、シガイチの調整が大変だったり、IBUKIを使っていただける大きな大会の準備があったり、新しいメンバーが入ってくれたので色々覚えてもらったりと、てんてこ舞いで、とてもじゃないけど自分が走るとか、ましてやレースで結果を残すとか、考えられる余裕がありませんでした。それもゴールデン・ウィークを終えると一旦切りがついて、ふと我に返る、というタイミングが訪れたのが5月の中頃だったと思います。

その頃に、以前から気になっていたSTEPNを始めようと思って、バイナンスに口座を開設してビットコインを送金してソラナに交換し、さらにSTEPNのウォレットにソラナを送り、初めてのシューズを買い、走り始めたのが5月22日でした。

本当は知り合いから3月くらいにはSTEPNの話を聞いていて、興味を持っていたのに、結局始めるのが5月の下旬というタイミングになってしまい、その後すぐにユーティリティトークンのGSTや、シューズの価格が暴落して、2週間位で購入した靴の値段が2割以下に下がるという、ジェットコースターのような体験をして、投資回収の目処がずいぶん遠のいてしまい、これがweb3か、と洗礼を受けました。

はじめに興味を持った3月にすぐに始めていれば、2ヶ月位で原資回収はできたんだろうなと思ったりもするけど、あの頃はとてもじゃないけど毎日走るような余裕がなかったし、意外とこの損失額の大きさが、その後の自分のモチベーションになったのかも知れない、と思うと、これはこれで良かったのかも知れません。負け惜しみとも言えます。

どうせSTEPNをやるなら、それなりに投資をして、毎日稼ぐ金額を増やした方が、走るモチベーションにもなるし、原資改修後の利益も大きくなる、という、不動産投資的な発想により、靴を9足買い揃え、アンコモンも3足にし、毎日12エナジー=60分仮想通貨を稼げるまで最初の1週間位で投資を行い、あとは淡々と原資回収をし、その後は利益を出していくぞ、と意気込んでいたものの、先ほど書いたように靴やトークンの暴落によってどんどん収益率は下がり、当初は4-50日くらいで回収できるかな、と思っていたものが、回収するには1,2年かかるかな、いや、このまま下落が続くなら永遠に回収できないのかも、という状況になりました。

ただ、やっぱり、走っただけでお金が稼げる、という体験のインパクトは大きくて、始めた頃は特に、純粋な驚きと楽しさがありました。web3のことは、いろんな人がいろんなことを言っていますが、僕が一番インパクトがあると思うのは、「誰でもお金を作れるようになった」ことだと感じています。お金を作るなんて、一般市民ができるとは思ったこともなかったのに、今ではちょっと技術のある人なら独自のトークンを作ることができるし、うまくやればそのトークンを取引所に上場させて、他のトークンや現金と交換できるようにできる(今はもうかなり敷居が上がっているみたいですが)、というのは、やっぱり純粋に楽しいし、ワクワクする。そのトークンが、走ったり歩いたりするだけで毎日稼げる、というのも、自分としてはとても新鮮で楽しい体験でした。

以前にポケモンGOが出たときに、暑い中を新種のモンスターを探して歩きまわったりもしましたが、そのときは2,3ヶ月で飽きてしまってやらなくなって、それに比べると、たとえ安くなろうが、「お金が稼げる」という体験はやっぱり僕の中ではインパクトが有るようで、STEPNを始めて以来、トークンがどんどん安くなろうとも、靴が安くなろうとも、ほぼ毎日走ったり歩いたりし続けました。

最初の1ヶ月は値段の安いランナーを買って、会社への通勤などで毎日1時間走り始めたのですが、7月に入って気温が上がると、だんだん暑さの中走るのがきつくなってきて、急遽ジョガー(速歩きでも稼げる靴)を買い、朝の涼しい時間に歩くようになりました。大体、朝6時から7時くらいには歩き始めて、そこから1時間、毎日運動を続けました。歩いている間は興味のあるポッドキャストを聴いたり、オーディブルで本を聴いたりしています。

この習慣は、夏の間もずっと続いて、そうこうしている間に、1ヶ月で1kgずつくらい体重が減り、75kgくらいだった体重が、1キロ、また1キロと減っていきました。

9月の下旬頃に、久しぶりにKyoto Mount Chopが開催される、ということが分かり、約1年半ぶりにレースに出てみるか、とエントリー。ちょうど会社の仲間なども挑戦したい、と話していたので、身内のメンバー4人くらいで出場させてもらうことになり、11月に向けて目標が定まりました。

一緒に出た仲間たち

ここまでの4ヶ月くらいで、すでに毎日1時間走る・歩く習慣は続けていて、体重も4kgくらい減らせていたんですが、夏場はずっと歩いていたので、走ってはいませんでした。それが、なんと図ったかのようにこのタイミングで、STEPNでGMTアーニングのリリースがありました。

少し解説すると、STEPN内にはトークンが2種類あって、発行量に上限がなくて、基本的にはどんどん価格が下がっていくGSTと、発行量の上限が決まっていてある程度価格が維持される想定のGMTという2つのトークンがあります。この時期まで、STEPNで走ったり歩いたりして稼げるのは、GSTのみだったのですが、9月下旬に、レベル30まで上げた靴を使って、GMTトークンを稼げるモードがリリースされたというわけです。

実はこのGMTアーニングに向けて、レベル30で、しかもコンフォート値の高い靴を仕込んで待っていた僕は、GMTアーニング開始と同時に、ここぞとGMT掘りをはじめました。この靴は、ランナー(キロ約6分以上の速度で走らないといけない)なので、基本的には走らないといけません。それまでジョガー(速歩きでOK)で夏場を過ごしていたのですが、ここでまた半強制的に走る必要が出てきました。ただ、ちょうどこの頃には随分涼しくなってきたし、チョップまで1ヶ月と少し、と、練習で走り込むのにもちょうどよいタイミングだったので、そこから毎日、1時間走るようになりました。

夏場に早朝に散歩をする習慣ができていたので、その時間帯にそのままランニングをするようになりました。1時間走るとなると結構な距離になるもので、大体僕は1キロ5分40秒くらいのペースで走るので、11kmくらいにはなります。これを毎日走るというのはなかなか大変で、よく考えると以前にトレランにしっかり取り組んでいたころも、毎日はそこまで走っていませんでした。週末に数十キロ走ったりはしない代わりに、毎日10kmくらい走る、ということを毎日し始めたので、足の故障とかが少し心配だったんですが、ペースがゆっくりだからか、それまで数カ月間毎日歩いていたから、意外と故障はなく、それほど追い込まないおかげで、ポッドキャストなどを聴いて走りながら知識を吸収できる時間にもなるし、体力がついて日々の生活も楽になるしで、結構気持ちがよくて、なんとか習慣を維持できました。

さすがにロードだけだと飽きるので、たまにトレイルに入るようになり、上りはジョガーでGSTを稼ぎ、下りはランナーでGMTを稼ぐ、というパターンを見出したりしながら、トレイルやロードを早朝に走り続けました。そうこうしている間に1ヶ月1kgくらいずつ体重は減り続け、レースの直前には69kgくらいになりました。一番重かったときから6kgくらい減っています。

レースに向けたトレーニングと言うよりは、毎日の生活の中に1時間運動をする習慣を取り入れて5ヶ月ほどすごし、レースを迎えたわけです。

いざレース

今回のコースは24kmと短め。普段のランニングでは、心拍数で140bpsくらい、トレイルに入るときは150を超えるときもたまにある、くらいの負荷で走っていたので、本番でも150くらいに抑えて走ろう、と思っていました。となると、24kmで4時間くらいかな?と思いつつスタート。

スタートして先頭の少し後ろくらいで走り出したんですが、いきなり心拍数が150を超え、160付近に。ただ、先頭からは離れ始めている。ソロで出ているトップグループの3名くらいと、トリオが1チーム、僕より前にいて、その少し後ろで走っていた僕は、早々に心拍150以内で走るのは現実的ではない事に気づき、160以内で行こう、と方針転換。

その160も超えて165くらいになっていたので、さすがに速すぎると思ってペースを緩め、158とか、160未満に収まるように進んでいきます。比叡アルプスに入ると、後ろから平田さんが追いついてきて抜かしていくんですが、僕の心拍はすでに160近くなので無理してついていったら後でひどい目に会うと思い、追いかけず。自分のペースを守っていきます。

トリオの元さん岡見さんたちの先頭チームの方が一人遅れて進んでいて、その方のペースがちょうどよかったので、後ろにつかせてもらって一本杉に向かいました。

比叡アルプスの上り (Photo by Susumu Saishoji)

以前に20kmくらいだったマウントチョップで優勝したときは、最初の登りで先頭に立ち、そのままの勢いでゴールに向かって、途中でトリオには抜かれましたが、ソロで優勝できたこともあったのですが、流石に今の僕には、先頭についていくことはできず、最初の上りですでに先頭とはお別れ、もうゴールまで会うことは無いんだろうな、と思いながら進んでいきます。

一本杉に着くと、トリオの先頭チームが補給をしながら待っていて、さらにソロの方も居たんですが、僕はポカリを入れてもらい、八つ橋を3つくらい手にとってすぐにスタート。ここでトリオチームより前に出て、さらに僕の前を5位で走っていた田村さんよりも前に出ました。田村さんは僕のすぐ後ろに追いついてきたので、「どうぞ先に行ってください」と譲ろうとしたんですが、「いや、大丈夫です。道がわからないのでむしろつかせてください」とのこと。では、ということで僕が前を行き、進み続けます。

一本杉からの平坦路で、STEPNをやろうと思っていたのでスマホを操作するものの、汗で濡れてうまく操作できず。それどころじゃなかったです。

紀貫之の墓の分岐まで下ってから登り返し。ここからまた急登になりますが、淡々と登っていきます。後ろの田村さんが少し離れたり、平坦なところで追いついてきたりを繰り返しています。

ケーブルの駅に着くと薫さんが誘導をしていて、応援してくれました。通り過ぎて階段を歩いて登り始めると、後ろから「近藤さん、そこ走るところですよー」と楽しそうに声をかけられましたが、とても走るような傾斜じゃないので「無理です」と返しました。

その後比叡山山頂に向かう急登が続くんですが、この急登で、なんだかゾーンに入ったみたいで、急に道が平坦な道のように思えてきて、まるで散歩をしているかのように楽に歩ける感覚に襲われました。どこまでも登っていけそうな感覚のまま、頂上につくと、後ろの田村さんが随分開いています。

なかなか調子がいいぞ、と思いながら駐車場を抜け、スキー場跡地のエイドに向かっていましたが、下りで田村さんは追いついてきて、どうも下りになると田村さんのほうが速いようです。エイドでは4位を走っていた平田さんがちょうど補給を終えて走り始めるところで、最初の比叡アルプス以来、平田さんに再開することができました。

僕が持っていた水分は、さっきの比叡山頂上に向かう上りで全部飲み干していましたが、とはいえそれほどのどが渇いている状態でもなかったし、補給も足りている感覚があったので、ここでエイドをスルーして、平田さんに着くことにしました。後ろから声をかけると「復活しましたね」と平田さんが言うんですが、「ただエイドをスルーしただけです」と返し一緒にくだっていきます。

足の長い平田さんは、僕より下りが早くて、下りで少し距離が空きます。そうこうしている間に、後ろから田村さんも追いついてきて、そのまま抜いていきました。下りではこの2人に全然ついて行けないようです。

そこから松尾坂の登り返し。僕は6位に落ちました。
このあとスキー場まで登ると、あとは7kmくらい下ってゴール。平田さんと田村さんの下りのスピードを考えると、最後がずっと下りのこのコースプロフィールでは、勝てる確率はかなり低いな、と思いながら登り始めました。

松尾坂ののぼり (Photo by Susumu Saishoji)

ただ、上りでは田村さんが遅れる傾向があったので、まずは田村さんをパスして進みます。平田さんは少し前を登っていましたが、その平田さんにも追いついて2回めのスキー場エイドへ。

松尾坂の上り2。前の平田さんを追います (Photo by Susumu Saishoji)

この上りで平田さんの後ろをついていったのが、プレッシャーとなったのかは分かりませんが、エイドにたどり着いて、ロープをまたごうとしたときに、目の前で平田さんが足をつりコケてしまいました。人道的には、ここで手を差し伸べて助けるのが心ある人間ってものだと思いますが、非情にも僕は、倒れている平田さんを横目に隣のロープを超え、急いでポカリとバナナを補給して、平田さんを置いてすぐにエイドをスタートして走り始めました。

周りにはスタッフがたくさんいたので僕が助けなくても誰かが助けるだろう、というのは言い訳でしかなく、こんな非道な行動をするのはスポーツマンシップに背く、ということはよく分かっているのですが、まあ、ここは勝負に徹することにさせてもらいました。😄

それでも、平田さんはすぐに足の攣りを回復させて追いかけてくるだろうし、上りで少し差が開いた田村さんも、今までの傾向を考えたら下りですぐに追いついてくるだろうし、7kmも下っていたら、二人には抜かれてしまうだろうと思い、そうなったらそうなっても仕方がないけど、自分的に悔いが残らないように力を出し切ろう、と全力で下りました。

今までは心拍数160のリミットを課していたけど、このくだりではもうリミットを開放。170くらいの心拍で走り続けていたら、水飲み対陣のあとの登り返しがしんどすぎて、全然足に力が入らず、上りでヨロヨロになりながらも進み、また下りに入ったら全力で走る、ということを繰り返してゴールに向かいます。

最後、京都一周トレイルが二手に分かれる分岐を左に曲がり、川沿いの道に来たあたりでも後ろは見えず。これはもしや逃げ切れるのでは?とこの頃感じ始め、そのままバプテスト病院へ。もう目の前でトレイルが終わり、あとはロードを走るだけ、という地点で、石か何かに足を引っ掛けて転倒。見事に身体が一回転しました。多分トレイルを走りきった、という安心感からか、気持ちが緩んだんでしょう。手や足を擦りむいて血が出ました。立ち上がるものの、一瞬何が起きたか分からず、よろよろと歩き始め、しばらくしてようやく走り始められました。

そのままロードを走っても後続は現れず。4位でゴールしました。

後ろの二人は、3分後に2人で現れました。平田さん、田村さんの順番で5位、6位でゴール。
絶対に追いつかれると思っていた2人から、なんと逃げ切ることができました。

恐らく、実力的には平田さんや田村さんの方が上だったと思いますが、エイドをスルーしたり、倒れている平田さんを助けもせずに抜かしたり、というあの手この手を使い、今の自分の持っている力を全部出しきって4位になれたのは、自分の人間性の無さを露呈してしまった恥を補ってなお、自分の自信になったと思います。

一時は引退したと思われていた状態から考えたら、こんな上位でレースを繰り広げ、格上のお二人よりも前でゴールできた自分を、少し褒めてあげたい、そんな満足感がありました。

残念ながら、上位3名の選手は、スタートして1kmくらいで見えなくなってから一度も見かけることがなかったし、3位まで表彰があったのに惜しくも1位差で表彰を逃しましたが、その3名のレベルは更に上で、とてもじゃないけど今の自分の力ではどうやっても追いつけなかったと思えるので、とにかく今の自分が望める最高の結果になったと思います。

あとからログを見てみると、平均心拍は160、最大心拍数は179という、すごい負荷で走り続けたんだな、という数字。自分が3時間以上平均160で走れるなんて、ちょっと自分もまだ若いんじゃないか、という気持ちになれました。

心拍数のグラフ

ちなみにあとから平田さんのStravaをこっそり覗かせてもらったら、平均心拍数が154になっていて、平均で6拍も差がありました。さらに田村さんに至っては、なんと平均140。田村さんの方は若干ログがうまく取れていない疑惑がありますが、それでもログが正常なところは150前後で推移しており余裕があります。やっぱり実力的には平田さんや田村さんの方が断然上だったんだろうなと分かりました。

レースを終えて

やたらと順位のことを書いていますが、今の僕にとっては順位を上げたり、誰かに勝ったり負けたり、ということにむちゃくちゃこだわっているわけではないんです。ただ、レースを走る以上、「良い走り」がしたいと思うし、自分の実力をしっかり出し切れて、後悔のない走りができると気持ちが良いわけで、それを目指しています。

今回は、半年前に過去最高くらいの体重になっていた状態から、STEPNという新しいアプリに出会い、そのおかげで毎日1時間運動する習慣を手に入れ、毎日毎日コツコツと運動することで健康を手に入れ、さらに久しぶりのレースに出て満足の行く走りができた、ということがとてもうれしかった。とてもうれしかったので、久しぶりにブログも書いてみました。

STEPNは、未だに原資回収はできておらず、損を抱えている状態ですが、まあ、その損があることで、コツコツ走り続けていつかは回収してやるぞ、というモチベーションの維持につながっている気もしますし、そういう意味では、早期に原資回収ができなかったことも悪くなった気もします。

STEPNのようなweb3系のアプリは、結局新規参入者が支払ったお金を、それより前の参入者に回しているだけであって、ポンジスキームだ、という批判もあります。まあそういう面もあると思いますが、ユーザーが何かしら価値を感じてNFTなりのアイテムを購入をしているなら、それで良いんだと思います。今までは買っても何も返ってこないソシャゲとかばっかりだったわけですし。本当のポンジスキームだったら法律で禁止されているわけで、大々的に提供できている時点で、少なくとも犯罪的な詐欺では無いわけです。

それよりも僕が一番課題だと感じるのは、基本的にどんどん値段が下がり続けるスキームになっていることです。たとえROIが低くても、ROIが安定していれば、投資回収の目処が立つし、意外と利回り的には低くても安定してたらそんなに不満はたまらないんじゃないかという気がします。(だって回収に1年かかる、っていっても、年利100%の投資商品がどこにありますか、って話だし、たとえそれが10%=投資回収に10年かかるとしても、その辺の投資商品と比べて遜色はないわけですから。)

なので、「どんどん下がり続ける」ことが実は心理的に一番ユーザーにダメージを与えているんじゃないかな、と思うし、結局目論見通りに利益が出せないから、みんなが不満を持つし、それをtweetしたりして拡散することで、「ああ、○○はもう終わったな」みたいな雰囲気になって、新規ユーザーが増えない、という負のスパイラルに入っている気がします。

なので、利回りは低くてもいいから、それを安定させることのほうが大事なんじゃないかな、と思うし、これから出てくるアプリやサービスでは、そのあたりの解決策を見つけられると良いんじゃないかな、と思います。

が、それを差っ引いたとしても、僕を半年間走らせ続けたSTEPNはすごいと思うし、レースが終わっても、当面走ったり歩いたりする習慣は維持し続けていきたいなと思っています。

というわけで、走るだけで仮想通貨がもらえる、という怪しいアプリを入れたら、半年間運動を続けられて、引退状態だった身体を鍛えることができ、久しぶりのレースで割と満足できる走りができました、というお話でした。😊