
今年の夏、南アルプスを北から南へ、6日間かけて歩いた。鳳凰三山側の青木鉱泉から入り、最後は光岳を往復して畑薙へ下りた。大南アルプスの全ピークを取る挑戦としては、甲斐駒ヶ岳、西農鳥岳・農鳥岳、悪沢岳、丸山をカットしたため未達である。それでも、鳳凰三山から光岳までの主稜線を一人でつないで歩けたことは、今の自分にとって十分すぎるほど大きな出来事だった。
距離や標高差だけを見れば、準備段階からかなり無茶な計画だった。約134km、累積標高差は14,000mを超える。実際に歩くと、南アルプスの一つ一つの山は想像よりずっと大きく、標高差の数字だけでは測れない重さがあった。初日は不安でいっぱいになり、後半になってようやく自分なりの歩き方を見つけた。そんな6日間の記録である。
旅に出るまで

大南アルプスは、自分たちがここ数年続けている「大」シリーズの一つである。大北アルプス、大シガイチに続き、南アルプスを長くつなぐルートをつくった。イベントをつくる側でありながら、自分では南アルプス南部をほとんど歩いたことがなかった。今年のトランスジャパンアルプスレースのライブ配信にも関わるので、その未知の区間を自分の足で知っておきたかった。
もう一つ、パソコンの前にいる時間が続いた反動もあった。山に行きたくて始めたことなのに、気がつけば山のイベントでも画面を見ている。だから今回は、少し長めの休みを取って、自分で大きな旅をしてみたかった。
休みは7月20日から25日まで。ウネちゃんに手伝ってもらい、出発の一週間前に山小屋と交通を押さえ、6日間の行程を固めた。山小屋泊なのでテントや寝袋、調理器具は持たない。水で戻せる尾西食品のご飯、行動食、ドリンク粉末を二日分ずつに小分けにし、食料はおよそ3kg。準備はかなりうまくいった。ただ、計画の速さだけは、現地に入ってすぐに自分の実力に合っていないことを思い知らされることになる。
食料については、かなり真面目に考えた。小屋で夕食や弁当を頼める日、頼めない日を並べ、手元にある食料を一つずつ数え、AIにも相談して、二日ごとに袋を分けた。柿の種、グミ、カロリーメイト、ナッツとドライフルーツ、羊羹、ソルティーライチの粉末。水だけで戻せる尾西食品のご飯。行動中に何をどのくらい食べるかまで考えて、総カロリーは一万一千キロカロリーほどになった。こういう準備をしていると、いかにもちゃんと旅の支度をしている気になる。ただ、食料計画が完璧でも、身体が計画どおりに動くとは限らない。
大南アルプス2026 食料計画 - Google ドキュメント
装備も、今回は少しずつ更新していた。新しいメリノウールのTシャツとフーディ、アルトラのオリンパス、USB-C充電のペツルのヘッドライト。厚手のメリノ靴下も二足を交互に使った。匂いはほとんど気にならず、クッション性もよかった。ただ、後になってみると少し蒸れやすく、足裏の水ぶくれにはつながったかもしれない。長い旅では、何か一つの装備が絶対に正しい、ということはなかなかない。
1日目 予定が崩れ、仙水小屋に救われた日
青木鉱泉を朝5時に出た。最初はカズミンさんと俣野くんが一緒だった。二人は日帰りの予定で、後半に必要な食料も一部運んでくれていた。

前日は野沢温泉でのライブ配信の仕事を終えてから移動し、眠れたのはほとんど三時間だった。今思えば、初日から順調に歩けると思っていた方がどうかしていたのかもしれない。でも、そのときは「一人になれば自分のペースで進めるし、鳳凰山までの遅れくらいは取り返せる」と本気で思っていた。最初の上りで少し遅れても、後半は軽くなる。そういう、都合のよいイメージを持っていた。
ところが、前日の仕事と短い睡眠の影響もあったのか、最初の急登からまったく身体が動かなかった。汗が止まらず、水も予想以上の速さで減った。鳳凰三山を越え、高嶺で二人と別れてからは、重い荷物を背負って早川尾根を一人で進んだ。早川尾根小屋は無人で、人にもまったく会わない。静かな尾根で思うように進めないと、不安だけがどんどん大きくなった。
アサヨ峰へは、標高差にすれば300mほどだった。それなのに何度も座り込み、「なぜこの程度の登りにこんなに時間がかかるのか」と考えた。焦ってカーボンストックに体重を預け、下りで一本を折ってしまった。仙水小屋に着いたのは16時半ごろ。夕食には間に合ったが、計画を作り直す必要があることは明らかだった。
朝、鳳凰山の時点では三十分から一時間程度の遅れだった。そこからなら何とかなると思っていた。それが早川尾根では、登りに入るたびに息が上がり、汗が出て、時計と計画表を見比べるたびに遅れが広がった。「4時に小屋へ着ければ夕食には間に合う。4時なら大丈夫」と自分に言い聞かせていた基準すら、だんだん怪しくなっていった。山小屋の人に怒られるのではないか、夕食に間に合わないのではないか、という心配まで出てきた。初日から、身体のしんどさよりも、焦りがしんどかった。

仙水小屋には自分ともう一人しか泊まっていなかった。小屋のお母さんが温かく迎えてくれ、同泊だったスガさんが折れたストックを直してくれた。綿を詰め、強力な補修テープでグリップとポールを固定し、Zポールのワイヤーが外れないよう他の部分まで補強してくれた。その修理は、結局その後の6日間ずっと持った。初日の終わりに、見知らぬ人の技術と親切に救われた。
ストックは、手で握るグリップとカーボンポールのつなぎ目が、繊維ごとボキッと折れていた。もうダメだと思っていたら、スガさんが「ちょっとやってみていいですか」と言った。グリップを残ったポール側へ少し差し込めばいけるかもしれない、と。しかも補修用の強いテープまで持っている。山にいる人の装備と判断力はすごい。自分の持ち物だけでなく、スガさんの持ち物とスガさんの技術で、旅の大事な道具が生き返った。あのときの頼もしさは、今でもかなり鮮明に覚えている。
この夜、全部のピークを取ることは諦め、山小屋に確実に着くことを優先する、と決めた。まず翌日の甲斐駒ヶ岳をカットした。
2日目 仙丈ヶ岳、三峰岳、間ノ岳を越えて北岳山荘へ
仙水小屋を3時43分に出発した。真っ暗な下りは意外なほど軽快だったが、北沢峠からの1000mの登りに入ると、また身体は重くなった。それでも前日のように焦らず、淡々と登った。小仙丈ヶ岳から森林限界を越え、仙丈小屋で水と食料を補給して、仙丈ヶ岳に8時8分に立った。

この日は、前日より少し落ち着いていた。一晩寝るだけで、身体が劇的に回復するわけではない。でも暗い下りから始められること、朝はまだ暑くないこと、それだけで随分気持ちが違った。登りに入れば遅いのは変わらない。だからこそ、ここで無理に取り返そうとせず、遅いなりに淡々と動き続けることだけを考えた。
仙丈ヶ岳の先の仙塩尾根は、北アルプスのような大パノラマの稜線を想像していたが、針葉樹と苔、シダの続く深い樹林帯だった。高望池で水を汲み、大南アルプス参加者の佐々木さんとも会って情報交換した。人に会えない時間が長いだけに、その短い会話がとても嬉しかった。

警戒していた三峰岳には14時10分ごろに到着した。前回のトランスジャパンアルプスレースで優勝した土井陵選手が、インタビューで「三峰岳がつらかった」と話していたので、こちらとしては相当身構えていた。つらさの正体は、直前の登りというより仙丈ヶ岳からの長い距離だったのだと思う。その先、ガスと風の中で間ノ岳へ登った。標高3,189m、日本で三番目に高い山の山頂には誰もいなかった。景色も見えず、ただ風とガスの中に一人だけいた。それでも北岳山荘までは下り基調だと言い聞かせ、16時に到着した。

甲斐駒ヶ岳をカットし、早く出て、ようやく当初の予定時刻。自分の計画には毎日二、三時間の余白が必要だと、この日も確認した。
山頂で一人、ガスと風に包まれていると、ここが日本で三番目に高い山だという事実が、少し現実離れして感じられた。日本で二番目に高い北岳を前日に見て、三番目の間ノ岳もこうして一人で通過している。でも、山頂を踏んだことより、あと一時間で小屋に着けるか、食事に間に合うか、という方がそのときの自分には切実だった。長い縦走では、名峰の山頂に立った喜びと、現実的な行程管理がいつも同時にある。

北岳山荘では多くの登山者と同じ部屋で眠った。充電、身体を拭いて着替えること、翌日の水と行動食を準備すること、そして小屋のビール。これが毎日のルーティンになった。山小屋での会話では、「仙水小屋から来た」と言うだけで驚かれた。自分では遅さにばかり目が向いていたが、普通の登山者の行程と比べれば、十分長い距離を進んでいる。それを人との会話の中で少しずつ受け取れた。
3日目 夜の北岳と、長い塩見岳
翌日は当初、北岳、農鳥岳を往復してから塩見岳を越える、28kmの計画だった。今の自分には無理だと分かっていたので、西農鳥岳・農鳥岳は早々にカットした。ただし、南アルプス最高峰の北岳だけは踏みたかった。
朝2時、荷物を北岳山荘に置いて、最小限の装備で北岳へ向かった。山頂に立ったのは2時54分。風はあったが、恐れていたほど寒くない。ヘッドライトを消すと、星空と遠くの街明かりが見えた。日本で二番目に高い場所に一人で立ちながら、遠い人の営みを眺めた。怖さよりも、山と自分だけに集中できる静けさがあった。
朝2時にそんな高い山へ向かうことには、最初は少し怖さがあった。止まると風が冷たいし、誰もいない。けれど歩き始めてみると、自分と山と、ヘッドライトが照らす道しかない。暑くないから汗もかきにくい。昼よりむしろ歩きやすい。余計なものが削ぎ落とされて、いま足をどこに置くか、呼吸をどう保つかだけに集中できた。怖さを越えると、その単純さが心地よかった。

この夜の体験以降、日の出前の時間が好きになった。昼より汗をかかず、世界がシンプルになる。旅が進むにつれ、出発時刻はさらに早くなっていったが、その時間帯を自分のものにできた気がした。
間ノ岳、三峰岳を戻り、熊ノ平で水とカップラーメンを補給した。その先の樹林帯は単調で眠く、何度か5分だけ座って眠った。

北荒川岳に出ると、景色は一変した。崩壊地の向こうに、巨大な塩見岳が現れた。雄大で、威圧的で、「あれに今から登るのか」と一気に目が覚めた。

北荒川岳から塩見岳は標高差350mほどなのに、2時間かかった。京都の大文字山なら400mを一時間以内で登れることが多いのに、なぜ進まないのか。荷物、標高、岩場、暑さ、疲労、そして南アルプス特有の大きなアップダウン。数字だけで山は測れない、と何度も感じた。

急な岩場を下って塩見小屋に着いたのは12時50分。周りの人がその日の行動を終えてくつろぐ中、自分はさらに三伏峠へ向かった。最後の三伏山への200mの登りにも40分かかり、三伏峠小屋に15時に到着した。長い一日を終えた安心の直後、薄着で過ごしていたら寒気と震えが出た。熱や疲労の影響だったのかもしれない。厚着をして横になり、食事を取って、18時には寝た。
4日目 自分のペースを見つけた日
4日目は三伏峠小屋を2時半に出た。前夜、IBUKIチームとうっしーさんから一時間二十分を超える応援音声が届いていた。山小屋のWi-Fiはなかなかつながらなかったが、ほんの一瞬つながったタイミングでダウンロードできた。真っ暗な尾根でその音声を聞き始めると、仲間が楽しそうに話す声に本当に元気が出た。
それまで、ショックスでオーディブルを聞くことも試していた。池ちゃんこと池田さんが紹介していた『イン・ザ・メガチャーチ』である。現代のファンコミュニティや推し活の周辺にいる人たちを描く小説で、社会現象としても、マーケティングを考える材料としても、とても興味深かった。ただ、山で疲れて不安になっているときに聞くには、少し先行きが暗くなるような内容でもあった。面白いのだが、元気が出るという種類の面白さではない。
その対極にあったのが、みんなが作ってくれた応援音声だった。うっしーさんは「近藤さんクイズ」まで用意してくれていた。好きなアニメーション作品は何か。バニラアイスに必ず入れるものは何か。好きなピクサー作品を、インサイド・ヘッド、レミーのおいしいレストラン、リメンバー・ミーの三択で問う。答えは『レミーのおいしいレストラン』だった。クイズの中でその理由は短くしか触れられていなかったので、歩きながら声日記であらためて補足して返そうと思った。せっかくの一時間二十分を、倍速にせず等速で聞いた。少しでも長く、仲間の声と一緒に歩いていたかった。
なぜ『レミーのおいしいレストラン』が好きなのか。自分にとってあの作品は、単に料理がおいしそうな映画というだけではない。周囲の常識や偏見からすれば、料理をするはずのない存在であるレミーが、自分の才能を隠さずに生かしていく。誰かを「こういう人だから」と決めつけず、思いがけないところにある能力を見つけ、それを認めて応援する。そういう世界が好きなのだと思う。
新しい才能や、意外な才能が現れるときには、未来への希望がある。たぶんそれは、山で人と話していて元気をもらうこととも少しつながっている。自分だけの見立てだけで進むより、いろんな人の存在や力を受け取った方が、行ける場所は広がる。そのことをまっすぐ描いているのが『レミーのおいしいレストラン』の好きなところである。

応援音声への返事として、自分のポッドキャスト「声日記」を録音しながら歩いた。小河内岳のあたりから、歩きながら一時間二十分ほど話していたら、いつの間にか高山裏避難小屋の手前まで来ていた。応援を受け取り、自分の言葉で返す。その時間が、孤独だった朝をあっという間に終わらせてくれた。
高山裏避難小屋のご主人はとても話しやすい方だった。荒川岳への道を、目の前のカールを「ここからあの斜面を直登していく」と説明してくれた。地図の標高差やコースタイムだけでなく、実際の山を見ながら、自分がどこからどこへ登っていくのかを理解する。先を把握できると、不安がずいぶん軽くなる。人と話すことは時間を使うことではなく、進む力を得ることなのだと分かり始めた。

それまでの自分は、会話をすると行程が遅れるような気がしていた。止まって話すより、少しでも前に進んだ方がいい、と。でも長い縦走では、その考え方はかなり片手落ちだった。水場の状態、登りの雰囲気、小屋までの感覚、他の人がどのくらい歩いているのか。何気ない会話の中に、地図にはない情報がたくさんある。そして、誰かと数分話すだけで、孤独の中で固くなっていた気持ちがほぐれる。以後、会った人とはできるだけ話すようになった。
この日から、話せるくらいのペースを意識した。息が乱れると話せなくなるので、負荷の目安として分かりやすい。やがて話す内容が尽きると、今度は自分との対話になった。何かを聞いて気を紛らわせるのではなく、山の中で一人で考え、声に出し、身体の状態を見る。4日目にして初めて、本当に南アルプスを歩いている感覚が出てきた。

荒川中岳で、悪沢岳と丸山の往復はカットすると決めた。両方へ行けば二、三時間かかる。丸山を取れないなら、悪沢岳だけを無理に取るより、予約している百間洞山の家へ確実に着くことを選ぶべきだった。
荒川小屋から赤石岳へ向かうトラバースは、この旅で最も好きな区間の一つになった。花のある大きな斜面を、赤石岳へ向けてゆっくり登る。チベットか、どこか遠い山岳地帯にいるようだった。ここで久しぶりに、心の底から山歩きが楽しいと思えた。

初日から三日目までは、楽しむより先に「今日の小屋へ着けるか」があった。もちろん景色は見ていたし、山にいる喜びもあった。でも心の中心には、ずっと時計と計画があった。4日目のこの斜面では、少しだけその緊張が外れた。きれいな山に向かって歩くこと自体が楽しい。そんな当たり前の感覚が、ようやく戻ってきた。

午後は暑さにやられ、赤石岳の後半から百間洞までがきつかった。それでも15時30分、百間洞山の家に着いた。計画には遅れたが、初日から続いた「必ず小屋に着く」という目標は守れた。
5日目 踊るように登り、兎岳で兎に会う
百間洞では、縦走者どうしの会話が楽しかった。三伏峠から来たことや、光岳まで行く予定を話すと、多くの人に驚かれ、応援してもらえた。ただ、回復のためには寝ることが最優先だった。毎日18時ごろには寝て、自然に1時台に目が覚めたら起きる。早い時間に眠れることは、今回の自分の大きな武器だった。
とはいえ、疲労と痛みは積み上がっていた。膝、足首、足裏の水ぶくれ。小屋でサンダルに履き替えると足を引きずるほどだった。それでも一晩眠ると少し楽になり、歩き始めれば進めた。
5日目は比較的短い行程だったので、大沢岳もカットせずに往復した。朝2時半に出て、3時半ごろに大沢岳へ。兎岳へ向かう登りでは、前日までの「話せるペース」からさらに進み、踊るように登ることを思いついた。呼吸を乱さず、足を止めず、無駄のない動きで、ゆっくり一定に身体を運ぶ。兎岳は登り始めから山頂まで一度も止まらずに登れた。うれしくて山頂の道標に抱きついた。

話しながら歩く方法は、自分に合っていた。ただ、当然ながら一人で話せることには限りがある。過去のことを振り返り、最近考えていることを自分で解説し、自問自答する。そこまで話すと、だんだん話題が尽きる。そこで今度は、言葉ではなく呼吸と動きに意識を向けた。歩くことを、ゆっくりしたダンスか舞踏のように考えた。足を上げる、置く、身体を前へ運ぶ。その一つ一つを慌てず、きれいに、呼吸を乱さずに続ける。兎岳の登りは、その感覚が一番うまくはまった。
夜明け前の兎岳で、後ろ足でぴょんぴょん跳ねる本物の兎を見た。新しい歩き方を見つけた自分を、山に祝福されたような気がした。

その後、全縦走中のバヤシさんと出会った。自分は北から南、バヤシさんは南から北へ。互いに「全縦走組ですね」と意気投合し、連絡先を交換して写真を撮った。細い岩尾根では道を間違えた登山者を案内することもあった。人に会うことが少ない山域だからこそ、出会いの一つ一つが濃くなる。

前聖岳、奥聖岳を往復して、そこから聖平小屋へと向かう。


聖平小屋で水を補給し、コーラを飲み、一休みして、上河内岳へ登った。途中で縦走ツアーの一行と話しながら歩いたのも楽しかった。上河内岳から北を見ると、聖岳、赤石岳、その先に荒川岳まで見えた。靴と靴下を脱ぎ、風に足を当てながら、ここまで越えてきた山を眺めた。水ぶくれは痛かったが、少しずつ達成感が生まれてきた。

長めの休憩では、靴を脱ぎ、靴下を裏返し、足も靴も乾かすようにしていた。両足の親指の内側とかかとの外側には水ぶくれができていて、ふやけると痛みが増す。景色のいい場所で裸足になり、岩に足を伸ばして風を当てる。急いでいる旅のはずなのに、そういう時間を取らないと後が持たない。上河内岳は、ここまで来た山々を眺めながら、足を休ませるのにちょうどよい展望台だった。

茶臼小屋には14時過ぎに到着した。今回もっとも早い小屋到着だった。途中で大南アルプス参加者の竹田さんとも出会った。地元の山を知り尽くし、圧倒的な勢いで進む姿を見て、トランスジャパンを目指す選手たちのすごさを改めて感じた。
6日目 光岳チャレンジと、畑薙までの下山
最終日の課題は光岳だった。茶臼小屋から光岳を往復し、畑薙へ下りて14時30分のバスに乗る。茶臼小屋にいた登山者たちと話すと、光岳往復には五〜七時間かかるという。下山も三、四時間、さらに畑薙湖沿いの道路歩きもある。普通に考えれば厳しい。
そこで、17時に寝て0時半に起き、1時に出る案を出した。片道四時間で、5時までに光岳へ着かなければ引き返す。居合わせたみなさんとあれこれ相談し、この「光岳チャレンジ」の計画ができた。
実際には0時40分に茶臼小屋を出た。大きなザックは小屋に置き、軽いトレランザックに水、食料、レインウェアだけを入れた。軽装なら走れそうにも思ったが、ストックを置いた身体は驚くほどふらついた。五日間ストックに支えられて歩いた影響か、暑さや睡眠、栄養、疲労の影響か。飲み会の帰り道のような千鳥足で、転ばないように進んだ。
前日までずっとストックを使っていたので、身体はもう四足歩行に近い感覚になっていたのかもしれない。ストックを置けば速く走れると思ったのに、二足だけで下りに入ると平衡感覚が変だった。熱や水分、食事、睡眠、五日間の疲れのどれが主因だったかは分からない。たぶん一つではない。ただ、走れる状態ではないとすぐ分かったので、転ばないことだけを優先した。
易老岳に水を一本デポし、三吉平からの登りを越えて、光岳に着いたのは3時51分。往路は約3時間。霧で展望はなかったが、暗い山頂で写真を撮り、すぐに引き返した。往復18km以上あることを、前日まで正確には把握していなかった。知っていたら少しひるんだかもしれない。
前夜の相談で、「水は1.5L持っていき、易老岳に一本置いて、帰りに回収すればいい」と教えてもらっていた。そのとおりにした。小さなアドバイスだが、長い往復ではとても効いた。三吉平から光岳へは、最後に400mほど登る。大きなアップダウンは少ないルートだと聞いていたので助かった。それでも、暗い中で一人、ふらつきながら登っていると、光岳はなかなか近づかない。山頂近くの光小屋にはテントの人や出発の支度をする人がいて、そこで初めて少しほっとした。
帰り道では、また新しい歩き方を見つけた。大股で登るとふらつき、脚に力が入らない。そこでペンギンのように小股でちょこちょこ登ってみると、驚くほど安定した。息も上がりにくく、別の筋肉が使えるのか、意外に速い。長い縦走の終盤には、また別の身体の使い方が現れた。

「ペンギン歩き」は、言葉にすると少し格好悪いが、かなり実用的だった。大股でぐっと踏ん張ると、疲れた脚には大きな負荷がかかるし、ふらつきも大きくなる。小さく、ちょこちょこと、地面に近いところで足を運ぶ。すると安定する。もしかすると、それまであまり使っていなかった筋肉を使えたのかもしれない。話せるペース、ダンスのような登り、ペンギン歩き。日を追うごとに、自分の身体と折り合う方法が増えていった。

7時に茶臼岳、7時半に茶臼小屋へ戻った。これでバスには間に合う。稜線から下りる前に、靴と靴下を脱ぎ、岩に座って明るくなった山並みを眺めた。これで南アルプスの主稜線を離れるのだと思うと、感慨があった。
下山は永尾さんと一緒になった。最初の登りをカズミンさんと俣野くんと一緒に歩き、最後の下りを永尾さんと歩く。始まりと終わりに相棒がいたことが、何だか象徴的だった。
茶臼小屋へ戻って荷物を整えていると、「今から下ります」という永尾さんに会った。永尾さんは畑薙湖の臨時駐車場に車を置いていて、白樺荘まで送ってくれるという。最終日は一人で下るつもりだったので、これは本当にありがたかった。山の道が終わった後の、長くて暑い下りも、誰かと話しながらなら気持ちが違う。
標高差1500mを下る道は、後半になるほど厳しかった。吊り橋、鉄橋、落ちそうなトラバース、ヤレヤレ峠の登り返し。そして畑薙の大吊橋。揺れる二枚板の上から数十メートル下の湖が見え、かなり怖かった。

橋を渡っても、畑薙湖沿いのアスファルトが残っていた。照りつける太陽と硬い路面が水ぶくれに刺さる。耐えきれず、出発前日に飯山のワークマンで急に買ったサンダルへ履き替えた。これに救われた。最後はパトロール中の地元山岳会の方に車で少し乗せてもらい、永尾さんの車で白樺荘へ。13時10分ごろに着き、一週間ぶりの風呂に入り、カツ丼を食べ、バスに乗った。
6日間歩いて分かったこと
これまでサイクリングでは50日ほどの旅をしたことがある。高校のワンダーフォーゲル部でも5日間の夏合宿はあった。ただ、一人で山小屋をつなぎながら6日間歩くのは初めてだった。
二、三日なら、多少の無理や勢いで乗り切れるかもしれない。でも四日目、五日目、六日目になると、ごまかしが効かない。本当の体力、本当の疲労、自分に合ったペースが出てくる。話せる速度で歩くこと。踊るように身体を運ぶこと。ペンギンのように小股で登ること。どれも長い時間を歩いたからこそ見つかった。
そして、一人で歩いていたからこそ、人の力もよく分かった。準備を手伝ってくれたウネちゃんやうっしーさん。初日に一緒に歩いたカズミンさん、俣野くん。ストックを直してくれたスガさん。道中で出会った大南アルプスの仲間や登山者のみなさん。山小屋の方々。最後に一緒に下った永尾さん。自分の体力だけで進んだわけではない。情報をもらい、励まされ、助け合いながら進んだ。
大南アルプスの挑戦は未達だった。けれど、鳳凰三山から光岳までの大きな山脈を自分の足でつないだ。トランスジャパンアルプスレースの南アルプス区間をほぼ歩けたことも、これからの配信やイベントづくりに必ず役立つと思う。
今回、甲斐駒ヶ岳、西農鳥岳・農鳥岳、悪沢岳、丸山の五つを取れなかった。大南アルプスの挑戦としては、ここはきちんと未達である。カットした理由を並べれば、すべてもっともらしい。でも、計画を最後まで守れなかったことも事実だ。ただ、初日に計画が崩れてから、無理に取り返して山小屋へ着けなくなるよりも、毎日予約している小屋へ確実に着くことを選んだ。その判断の積み重ねがあったから、最後に光岳までつなげられたのだと思う。
何より、今回の目的は完走記録を一つ増やすことだけではなかった。大南アルプスをつくる人間として、トランスジャパンアルプスレースの配信に関わる人間として、選手たちが通る南アルプスを自分の身体で知ること。その目的は、かなり果たせた。荒川岳から赤石岳へのトラバースも、塩見岳の岩場も、夜の北岳も、光岳チャレンジも、地図や映像だけでは分からない重さとして身体に残っている。
南アルプスは人が少なく、山が大きく、思い通りにならない。それでも、その分だけ山と自分に向き合い、人との出会いを深く受け取れる。もし時間を取れる人がいるなら、四日以上の長い縦走を、できれば南アルプスで、一度はやってみてほしい。厳しいし、思い通りにならない。でもその分、きっと得られるものがある旅になる。






