奥三河パワートレイル本番編

比叡山で最後の練習

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三河パワートレイルの前に、最後にもう一度、長めの練習をしておこう、と思い、比叡山トレイルランコースを8割くらい走りに行った。家から行って帰ってきたので、全部で53km。

意識したことは、とにかく最初を抑えて、終盤までイーブンに近いペースで行けるようにすること。丹羽さんと走っていて感じることは、とにかく最初は、「こんなにゆっくりで良いの?」と思うくらいゆっくりだということ。ただし、そのペースが、落ちない。それで、結局コース全体で見たら、速いタイムになっているのだ。

何度か一緒に走らせてもらったことで、だんだんと身体にその「ゆっくり入る」感覚が身についてきていて、今度は一人で、それをやってみようと思った。

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バプテストから比叡アルプス、坂本から延暦寺に戻って自販機で休憩。そこから地蔵に降りて横高山に登り返し、仰木峠からショートカットして林道に降りる。そのまま林道を仰木へ下り、横川に登り返して林道の下り。ゴール手前の上りを登ったあと、大比叡を越えて北白川に抜け、自宅まで53km。

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攻めすぎず、緩めすぎず、淡々と走っていくと、最後までほとんどペースを落とさずに50km走ることができた。北側の滝寺をカットしたため、本番コースでのタイムは分からないが、ペース的には7時間半ちょっとのペースだったと思う。昨年の本番のタイムが7時間37分だったので、練習でほぼ同じタイムで走ることができた。

終盤の横川からの下りの林道区間は、昨年は足に疲労が溜まってペースが上がらず、21分かかっていたが、今回は17分で走れた。昨年いろんな上りで、Stravaの区間タイムを気にして走った区間で、ベストを更新するようなことはなかったが、全体のタイムは一番速い、という、まさに意図したような走り方ができた。このイメージで、本番に挑もう。

嬉しいニュース

三河の一週間前の週末、朝から中国の100kmレースで、丹羽さんが優勝した、という知らせが飛び込んできた。海外レースで優勝!すごい!春先から、何度も練習でご一緒させてもらっていたので、我がことのように嬉しかった。(知らせを知ったあと、しばらく嬉しくてその辺をぐるぐる回りながら家族に何度もうれしいうれしいと言っていた気がする笑)

海外レースでこれまでも上位に入って来られていたし、最近は海外で活躍する選手も出ているけど、優勝というのはまた、格別だ。そして、やっぱりああいうペース配分で十分戦えるんだな、と分かったことが自信にもなったし、終盤の上りで追い込む丹羽さんの姿を想像することができて、最後の逆転劇の様子を想像して興奮した。

とにかく、おめでとうございます。僕もがんばります。

三河パワートレイル本番

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(撮影:丹羽薫さん(以下自分が走っている写真は同様))
ということで、ついにやってきた、奥三河パワートレイル本番。チームチョキの皆さんたちとご一緒させて頂き、和やかな雰囲気で会場に入った。
作戦はもちろん、「ゆっくり入る」こと。70kmもあるし、後半に険しい山道が待ち受けているので、とにかく序盤を抑えていく、ということを意識した。

目標は10時間切り。できれば昨年の丹羽さんのタイム9時間35分に近付きたい。

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スタートはぎりぎりまで車で温まり、最前列から少し後ろに離れた100番手くらいの場所に並ぶ。アップもせず、ゆっくりしか走れない身体とポジションでスタートラインに立った。

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スタート直後にロード区間が続くが、ここもキロ5分から6分ほどのペースで入り、茶臼山へ。杉浦さんも同じく、序盤抑えて走っていたので、お互いに写真を撮りあったりする。ゆっくり茶臼山に登っていると、あっけないほどすぐに頂上が現れ、そこから下りに。

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(杉浦さんの後ろで荷物を落として拾っているのが僕です)
下りもほどほどのペースで進んでいく。自分では、こんなもんだろう、と思って走っているが、周りがなかなか速い。男子の上位選手は全く見当たらないどころか、女子の選手にもたくさん抜かれていく。「さすがにこれはちょっと、抑えすぎなんだろうか?」と思い始める。

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つぐ高原に向かう林道の下りは、スピードの出やすいゆるい下り坂。ここで、周りに合わせてペースが少し上がってしまった。(そういう意識はなかったが、ログを見たらキロ4分半ほどのペースに上がっていた)それでも、周りと同じくらいのペースだった。

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つぐ高原の通過が106位。時間が1時間10分。昨年の丹羽さんの通過時間が1時間6分なので、4分も遅れている。やはり、さすがにこれは遅すぎたか、と思い始める。

まだ飲み物もたくさんあり、つぐ高原は補給無しでそのまま通り過ぎる。このあたりから、「もう少し上げていこうか」と思い始めた。細かいアップダウンのあるトレイルで、どんどん人をかわしていく。これまでのレースでは、序盤にかなり前の方で突っ込んでいって、だんだん抜かれていく展開が多かったので、この、「途中から抜いていく」というのがなかなか楽しい。その楽しさもあって、前の人をかわして、また前の人が見えるとその人を目標に迫っていて、またかわして、と繰り返していく。

トレイルのアップダウンを快調に進み、面ノ木園地もスルー。林道の下りに入ると、ここでもまずまずのペースで進み笹暮のエイドに。ここで水分だけ補給し、すぐにタコウズ側の下り林道に入る。この下りでもペースが上がっていき、キロ4分20秒ほどのペースで進んでいった。

4分20というと、平地で走ったら、僕の場合かなり速いペースで、決して「抑えた」ペースではないのだが、最初に十分抑えて入った、という気持ちがあったのと、道が適度に下っていて、傾斜に合わせて身体を動かしていたらそのくらいのペースになってしまう感じで、息も乱れず、あまり体力を消耗している感覚ではなかったのでそのまま下っていった。

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設楽大橋まで下りきると、丹羽さんが応援してくれていて、そこで「速いですね!大槻さんから5分差くらいですよ」と言われた。どうやら、つぐくらいからペースを上げて、上位選手の大槻さんにも迫ったみたいだ。感覚的にはまだ体力は残っていると思っていたので、「まだまだ行けますよ!」と元気よく返した。(が、この時が一番元気が良かったかもしれない)

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小松のエイドまで登り返して、エイドに到着。ここで順位が58位。3時間48分。なんと、つぐの106位からこの区間で48人も抜かしたことになる。(そりゃ楽しいわ)そして通過時間も、昨年の丹羽さんが3時間52分なので、4分早く着いている。最初は4分遅れだったので、8分も挽回したことになる。この第2区間が今回のレースで一番快走できて、順位もジャンプアップした区間になったわけだけど、結果的にはそのつけがあとあと回ってくることになる。なにせ、まだ距離は37km。半分しか来ていない。そして、後半は、前半とは全くことなる、険しい山道が待っている。

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小松を越えると、いよいよ本格的な山道に入る。最初の鹿島山の山麓を行く道は、それほど険しくなく、「こんなものか」と思って走っていたが、和市を越えて岩古谷山に取り付くと、激坂が現れた。激坂というより、急な階段や岩の塊をよじ登っているような箇所が出てきて、上りも下りも想像以上に険しい。ここで、一気に足にきた。太ももの前(大腿四頭筋だろうか)に疲労を感じ、油断するとつるようになってきた。

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どうやら、長い林道の下りでペースを上げて走ったせいで、筋肉に疲労がたまってしまったようだ。心拍を抑えていても、そういう落とし穴があるのか!(と今さら思っても遅いw)

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あまりペースを上げられないが、それでも気持ちは切らさずに、「やれる範囲で、やっていこう」と気持ちを切り替えて進み続ける。岩古谷山にたどり着いた時は、嬉しくて思わず写真を撮ってもらった。景色が素晴らしい!なかなかの達成感。

そこからも何度も何度も険しいアップダウンが続き、なかなか終わらない。鞍掛山を越えると次のエイドに着くことは分かっているので、もうそろそろだろうと、コーススタッフの方に「次が鞍掛山ですか?」と聞くも、「いや、もうしばらくあります」という返事。とほほ。。

そうこうしているうちに、飲み物がなくなってきてしまった。小松のエイドまで、ほとんど飲み物は減らさずに来れたので、そのままの調子で小松でも満タンにせずにトレイルに入ってしまったのが裏目に出た。足がつっているのに、水がないというのも致命的である。あまり強度を上げて汗をかき過ぎないように、少し抑えながら進んでいく。上りもつらいけど、下りもつらかった。大腿四頭筋が一歩ごとにぴきぴき言っている感じがする。

自分の中では、小松までの走りに比べて、ここで一気にペースダウンしてしまったように感じていたけど、意外と抜かれることは少なかった。というよりも、淡々と進んでいるうちに、たまに人を抜くこともあって、「自分もつらいけど、みんなもつらいんだな」と思った。

「これを登ったら鞍掛山ですー!」と上から声が聞こえてきた時は、ほんとに嬉しかった。スタッフの方が、ずっと上の方から呼びかけてくれている。よし、これを上りきれば、下ってエイドだ。水が飲める。助かった。

鞍掛山を越えて下っていくと、四谷千枚田のエイドステーション。ここにたどり着いた時は、まるでオアシスにたどり着いたような気持ちになった。「やったー、助かった!」。

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四谷千枚田には56位で到着。6時間6分だった。大きく崩れた気がしたけど、小松から3位しか下げていない。丹羽さんペースは6時間4分だったので、また2分遅れでビハインドになった。

足はつるし、喉も乾いているしで、たくさん水分補給し、かぶり水を頭からかけてもらう。豚汁とおにぎりを頂き、一旦日陰に座り込んで、ゆっくり補給した。ちょっと一回落ち着こう。気温も上がってきていて、少し熱中症っぽい感じもあったので、身体が落ち着くまで少し座っていた。

しばらく座って休んでいると、身体も回復してきたので、気を持ち直して出発。結局10分ほど休んでいた。出発した時は60位になっていた。

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ここからしばらくロードを進み、宇連山に向かう険しい上りがまた現れる。この上りは、昨年応援で来た時に、かなり上の方まで上ったことがある。その時は家族を連れて一緒に登ったので、小学生の息子も登っていた。その記憶があったので、道が分からない不安もなかったし、なにか「帰ってきた」という安心感があった。

それもあったのか、さっきまでの区間に比べると、まだ足が軽い。そうか、やっぱりこうやって、回復することもあるんだな、と思った。「もうだめだ、もうだめだ」なんて思っていたら、どんどん落ちていくばかりだけど、調子が悪いときでも諦めずに進んでいたら、また良くなったりするんだ。「ここまでと思ったらそこまで」といういつぞやの言葉を思い出した。そうそう、ここまでと思ったら、そこまでだよ。

ももの痛みは治らないけど、行ける、必ずゴールする、と思って進み続けた。宇連山を越え、棚山高原の最後のエイドステーションに54位でたどり着いた。四谷から6位も順位を上げている。こんな後半に、順位を上げられる展開は始めてだ。一度は、オーバーペースで終わったか、という状況になりかけたけど、そこから再び順位を上げる展開に持ち込めた。自分の中でも、ちょっと成長を感じた。

棚山高原は最後のエイドと言っても、ここからゴールまでは13kmもある。しっかり水を満タンにして、最後の鳳来寺山に向かう。

棚山高原を越えて、急な下りに入ると、向こうに鳳来寺山の山容が姿を表した。「でかい!遠い!w」思わず叫んでしまった。ちょうど近くにスタッフの方がいたので、「あれが鳳来寺ですか?」と聞くと、「そうですよ」と言うので、「遠くないすか?」と聞いたら、「そうでもないですよ〜」と明るいお返事。うむむ。まあ、見えている山は、案外近かったりもしますもんね。

鳳来寺山の上りもまた、やっぱり急登だった。最後まで手を緩めることはないようだ。登っていると、いよいよ足が悲鳴を上げ始めた。体力的にはまだいけるんだけど、太ももに力が入らない。というか、痛い。筋肉が痛い。ずっとつっているような状態で足を酷使してきたので、なにか、筋繊維が壊れているような痛みを感じるようになってきた。さすがにうまく力が入らない。

どうせそうなんだろうな、と思っていたけど、鳳来寺山もまた、何度かなんちゃってピークがあり、「そろそろ頂上かな?」と思ったらまた次の登りが現れる、ということを繰り返して、たまらず何度か立ち止まって足を休めた。

本当はストレッチをしたいのだけど、どの方向に足を曲げても、いろんなところがつるので、前屈姿勢になって息を整える程度しかできない。息を整えて、また登って行く。そういえば、周りには全然人がおらず、しばらく人には会っていない。誰にも抜かれないということは、周りの人も同じくらい疲れているんだろう。大丈夫だ。行ける。

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鳳来寺山に着いたときには、思わずうれしくなって記念写真を撮ってもらった。なかなか思い出深い山になりそうだ。

ようやく最後の山を越え、あとは基本的に下るだけ。ゴールが見えてきた。丹羽さんのタイムには届かないけれど、10時間は切れそうだ。下りで、またしても水が切れた。今度は1リットル入れてきたのに、なくなってしまった。気温が高く、汗が多いようだ。水欲しい・・・と思いながら走っていると、鳳来寺の境内に売店が出現。売店のおばちゃんが応援してくれるので、「水を頂けませんか」とお願いすると、快く分けてもらえた。助かったー。

ここから短い上りをもう一度登り、林道を下って、いよいよゴール。見覚えのある赤い吊橋を渡ると、なんだかこみ上げてくるものがあった。そしてゴール。9時間54分。51位。ふうー。

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10時間切れたし、これまで完走したレースの最長距離も更新。改善点はあったけど、まずまずの結果で満足。
ゴールでは丹羽さんと、途中でリタイアした堀川さんが出迎えてくれた。ありがとうございます。おかげで、本当にいろいろなおかげで、完走できました。
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振り返り

ということで、無事完走と10時間切りを達成できたわけですが、少し振り返り。
基本的に、序盤を抑えていく、という作戦は正解だと思うけど、抑えが足りなさすぎた。つぐまで106番で入れたのは良かったけど、そこで「抑えすぎた」と思ってペースを上げて、小松まで50人抜きをしたところが反省点。第2区間ももっと抑えてよかった。
この区間で体力は温存していたが、足に負担をかけて、後半にずっと筋肉の痛みを抱えながら走ることになった。心拍数が上がっていなくても、飛ばしすぎ、ということがあるんだ、ということが分かった。
ペースを上げるにしても、最後4分の1くらいからで十分で、それまではひたすら抑え続けるくらいが良いのかもしれない。

個人的な改善点はそういうところだが、興味深いことに、僕の前後でゴールしている人は、ほとんどが僕よりも序盤速いペースで走っている。自分では、前半で少しペースが速すぎた、という振り返りだけど、多くの人はそれよりもさらに速いペースで入っているということだ。

http://bungo1103.hatenablog.com/entry/2017/05/04/201358
大槻さんも同じような分析をされている。こちらはデータがあるのでさらに説得力がある。(上位22位までの選手で、1位の選手より序盤ゆっくり入った人は1人しかいない、という驚くべき事実が明かされている)

長いトレイルランは、ちょっとしたトリックのようなものに思えてきた。つまり、直感的には「このくらいのペースがベストだろう」と思って走っても、それが最適解ではないということだ。

みんな経験豊富で、良いタイムで走りきりたい、と思っているはずなのに、それでも多くの人が序盤に飛ばしすぎてしまう。あまりに距離が長いので、残りの距離を走りきるための理想のペースと、身体の感覚を合わせるのが難しいのだ。もちろんそこには、レース独特の興奮状態とか、周りの選手に引っ張られるという精神的な効果もあると思うけど、そういうことも含めて、「いかに冷静に、ゆっくり入って、イーブンペースで走り抜けるか」というゲームである、という側面が見えてきた気がする。

三河の場合、前半の小松までが4時間弱、そこからゴールまでが6時間かかる。ということはつまり、距離で言えば半分だが、時間で言えば4割しか来ていないということだ。最初の4割で10%ペースを上げるよりも、残りの6割で10%ペースを上げた方がずっとたくさん時間を稼げるわけである。奥三河の場合は、そういう「距離と時間のトリック」も含まれているから、余計に全体を見通した最適なペースをつかみにくいんだと思う。

なにはともあれ、完走できて10時間切れたのは良かった。第1区間ではしっかりペースを抑えることができたし、お陰で途中で50人抜いたり、後半も大きく崩れることはなく、終盤で順位を上げるというこれまでになかった展開も経験できた。

精神的にも、途中で諦めたりせずに、自分の持っている力を客観的に見極めながら、気持ちを切らさずにゴールまで進めたのが良かった。まだまだ改善点はあるけれど、山を楽しみつつ、さらにうまく走れるようになれると良いなと思う。
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奥三河パワートレイル準備編

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三河パワートレイル、70km、完走しました。9時間54分。10時間切れました。レースで完走した最長距離を更新です。
今回ちゃんと完走できたのは、本番がどうこう、という前に、そこに至るまでの経緯、肉体的な準備と、精神的な準備がほとんどだったと思う。まずはそこから振り返りたい。

壁を抜ける

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3月21日に、三重県まで100km走り通すことができ、自分の中で何か、「壁を向こう側に抜けた」感覚があった。
実際に、未知の距離を走り通せたわけだし、初めて夜を越えて走ったので、物理的な距離的にも、時間的にも、壁を越えられたわけだけど、それに加えて、何か、精神的な壁を一枚抜けた感覚があった。
その感覚は、走り終わった直後の時点で、すでにぼんやりと感じていたわけだけど、日が経つにつれて、だんだんそのことが、自分の中でより明確に認識できるようになっていった。
なんとなく「何かを抜けた気がする」と感じてはいたが、その後いろいろなことが少しずつ変化していることに気付くにつけ、「ああ、やっぱりあそこで何かが変わり始めたんだな」と明確に思うようになった。
それは走り方や、山との付き合い方だけではなくて、仕事やプライベートを含む、普段の生活にも広がる変化である。

そんなに大きな変化が、たった1日走っただけで訪れるのか、と言われれば、決してそれだけが要因では無いと思う。それもまた、そこに至るまでの長い経緯があり、大きなバケツに少しずつ水が溜まってきていたものが、その瞬間についに満タンになって溢れ出た、というタイミングだっただけとも言えるだろう。
ただ、象徴的な出来事として、100kmがあったし、そこで感じたことが、大きく影響していることもまた事実である。

比叡山

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100kmを走った次の週末、二宮さんを誘って比叡山に走りに行った。実は、2人で走りに行くのはまだ2回目である。同じ会社で仕事をしていて、レースもしょっちゅう一緒に出ているが、2人だけで走ったことは実はそれほど多くない。そもそも僕が、普段から一人で走ることが多いし、時間も走りたい時に気ままに走る、という格好なので、自分から約束を取り付けて走りに行く、ということが少ない。

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ところが今回、三重まで4人で走り、「仲間と走るのも良いな、また誰かと走りに行きたいな」と思った。山から学べることはたくさんあるが、人から学べることも多い。「久しぶりに誰かを誘ってみよう」と思いたち、それで二宮さんと走りに行くことになったのだ。

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銀閣寺で待ち合わせて、比叡アルプスに入り、比叡山トレイルランのコースを坂本まで下り、また延暦寺に登り返す。三重まで行った時の話や、二宮さんの100マイルレースへの挑戦の話、仕事の話など、たくさん話した。二宮さんに前に行ってもらい、僕は後ろからついていく。後ろからついていきながら、あれこれ話しかける。坂本から延暦寺までの登りは、ほとんどずっと話していたけど、それでも二宮さんはベストタイムだったらしい。

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朝方に降った雪の残る大比叡を経由して(これが今年最後の京都の雪だった)、雲母坂を下っていく。二宮さんは午後から用事があるということで、このまま北白川に抜けて帰るというが、僕はもう少し距離を走りたかったので、水飲対陣で別れて松尾坂でも登り返そうか、と思っていた。そう思って下っていると、前からトレイルランナーが2人、駆け上ってきた。一人は女性で、一人は男性だ。

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よくよく見てみると、丹羽薫さんだった。これは驚いた。「あれー!」と、お互い声を上げた。
確かに丹羽さんも京都だし、どこかで会うこともあるかもしれない、と思ってはいたけど、少なくともこれまでは一度も山で出会ったことは無かった。
それが、一緒に三重まで走ってから10日ぶりに山に走りに来たら、また会ってしまった。なんなんだろうか。

最近、日立製作所の矢野さんという方が書かれた、『データの見えざる手』という興味深い本を読んだ。ここに面白いことが書いてあって、「人と人が再会する確率は、経過時間に反比例して減少していく」そうだ。つまり、ある人と20日後に再会する確率は、10日後に再会する確率に比べて半分になるし、50日後に合う確率は5分の1になるというのだ。

正直なところ、この法則は直感に反している。だって、誰かと誰かが出会う確率なんて、お互いがランダムに動いているものが、偶然に会うわけだから、時間の経過とは無関係なはずだ。ところが実際はそうではないらしい。矢野さんは、たくさんの被験者にセンサーを取り付けて、誰と誰がどういうタイミングで出会うかというデータをのべ100万日分集めて、この法則を見出したそうである。

この話は、「ほんまかいな」と疑う気持ちの一方で、ちょっと、「そういうこともあるかもな」と信じてみたくなるような話でもある。実際には、「出会うときにはなぜかよく会う」という体験はあるものだし、単なる偶然ではないように感じることだってある。お互いに離れていても、よく会う時期というのは、「同じようなことに取り組んでいる」とか、何か出会う確率が高いモードに入っているのかもしれない。

とまあ、そういう本を読んでいたこともあって、この時は「これか!」と思った。「これが矢野の法則か!」と。これまで山の中で一度も丹羽さんに会ったことは無かったのに、一緒に走った次の週にまた出会ってしまったのだ。

これはもう、ついていくしかないな、ということで(笑)、二宮さんに別れを告げて、今度は丹羽さんについていくことにした。もともと、そろそろ別ルートに別れようとしていたところだった。

丹羽さんは木下(英次)さんと一緒に自宅から往復50kmほどを走っていて、比叡山の上まで行って折り返すとのこと。そこで、今降りてきた道を、再び登り始めた。再会できた嬉しさで、小走りで登りながらも、100km走ったその後のことなど、あれこれと丹羽さんと話し始めた。しばらく行くと、木下さんが「私はこのあたりで折り返します」と仰って、戻っていってしまった。確かに少ししんどそうにされていたけど、もう折り返し地点は目の前。いきなり2人で話しすぎただろうか、と少し申し訳なく思った。

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それで2人になり、ケーブル比叡の駅まで上って、そこで折り返し、来た道を戻り始めた。丹羽さんは伏見の自宅まで戻るという。僕は最初は北白川で終わる予定だったけど、まあこの際、最後までついていっても良いかな、という気持ちになってきた。とりあえずついていけるところまで行ってみよう。

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比叡山を下り、大文字に登り始める。前回の三重行きは4人だったし、僕が遅れることが多かったので、実はそれほどたくさん2人で話せたわけでは無かったが、今回は2人だったこともあり、たくさん話しながら登った。朝から走った距離は、もう30kmを越えていて、これまでならすっかり疲れて、足も痛いし、そろそろ終わりにしよう、と思うような距離だったけど、話をしながら、あまり疲れとか足の痛みとかを気にしすぎず、ついていった。

そう。三重まで走って、何が一番変わったのかというと、そういうところだと思う。確かに足は痛い。身体は疲れている。そのことについて考えようと思えば、どれだけでも考えることが出来る。「痛い痛い」「しんどいしんどい」「そろそろ終わりにしたほうが良いんじゃないか」云々。

だけど結局、「行けると思えば行ける」のだ。それはそれとして、置いておいて、前に進む。なんなら、楽しいおしゃべりをしながら。身体の痛みや疲れは感じるけれども、それについてあまり深く考えすぎない。「行くんだ」と思うこと。

言ってみれば、「自己愛との決別」みたいなことである。いや、決別などできてはいない。そもそも、こんなブログを書いている時点で、どう考えても自分が好きなのである。だから、程度問題ではあるんだけど、ある一定以上の深さの自己愛を捨てる、ということなのではないか。

「痛い痛い」「しんどいしんどい」「もうやめたい」という考えを膨らませていくのは、ある種のナルシシズムなのではないか。自分が好きで、自分が大切であるがために、自分に優しくしてあげたい、これだけ辛い思いをしているのだから、諦めても良いはずだ、という自分への優しさ。その想いを募らせていく行為なのではないか。

いや、本当に怪我をしているとか、骨にヒビが入っているとか(実際去年の7月に起こったことだ)、体力の限界を超えていて真っすぐ歩けないとかであれば、すぐさま走るのはやめた方が良い。危険だ。しかし僕の場合、そのもっと手前で、「痛い」「しんどい」「やめたほうが良いんじゃないか」と考えていたわけである。

丹羽さんに「行けると思えばいけますよ」と言われ、行ってみたらその通り行けてしまった、という体験が僕にもたらしたのは、本当の限界の随分手前で、あれこれ考えていた自分の客観視であったし、その考えというのはどこから来るかと言えば、自分が好きだ、というようなところに、落ち着かざるをえないのではないか。それが、壁を抜けた感覚について、考えを巡らせた上で、僕がたどり着いた一つの結論だった。

そういうことが、一旦客観的に見えてしまうと、急につまらなく思えてくる。なんだ、そんなことだったか、と。本人的には必死なんだろうけど、思ってるほど大したことじゃない。まあ、行けるよ、進もうや、という。まさにそういう言葉をかけてくれた丹羽さんの気持ちが、だんだん分かる気がしてきた。

そんな経緯があり、大文字も、将軍塚も、楽しくしゃべりながら進んでいった。身体は疲れてきているけど、そんなのはこの距離を走れば当たり前のことである。丹羽さんだって、疲れているに違いない。自分だけに特別なことでもない。

将軍塚を登っていると、前から木下ゆかりさんが下りてきた。英次さんより遅れて、後ろからスタートして迎えに来られたらしい。木下さんは、僕たちに出会うと、くるんと折り返し、先頭を引き始めた。ここで急にペースが上がる。まだまだフレッシュな足で、上りを軽快に走っていく。「うわー、これはまた、大変なことになってきたな」と思っていると、丹羽さんが「ゆかりちゃんのおかげで追い込めるわー」などと話している。どんだけ。。笑

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なんとかついていって、結局丹羽さんの家まで走った。そこにいらっしゃった皆さんとお話しながら休憩させてもらい、それからまた家まで走って帰った。全部で50kmほどの道のりだった。

身体も心も、長い距離に少し慣れてきた。以前は、練習だとせいぜい30kmまでだったけど、感覚が変わってきた。50kmは短くはないけれど、走れるな、という感覚ができてきた。奥三河は70kmで、これまで出たレースで一番長いけど、少なくとも完走はできる気がしてきた。

Kyoto Mount Chopコースをたどる

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二宮さんと丹羽さんと走った翌週、また丹羽さんの練習に付き合わせて頂くことにした。丹羽さんは中国の100kmレースに向けた走り込みの時期で、福田さんと一緒にMount Chopのコースを走るという。僕も奥三河に向けて走り込みたい時期だったし、この際とことん行ってみよう、と、ご一緒させていただくことにした。

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福田さんとは、昨年春のMount Chopで一緒に走ったことがある。序盤からずっと後ろにつかせて頂いて、大原の手前で置いていかれるまで、結構な距離を一緒に走らせて頂いた。その時は、終盤にもう一度僕が追い越すことができたけど、5月の比叡山では僕より40分も速いタイムでゴールされている。丹羽さんとともに、レースでは僕よりも少し上のレベルのお二方である。

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序盤、比叡アルプスを登るところから、なかなかのハイペースで入り、うまくついていくことができない。丹羽さんも少し福田さんから離れることがあったが、僕はそこからさらに離れてついていく形になった。息が上がる。

比叡アルプスを登りきる少し手前で、石鳥居に向けて下る気持ちの良い道を走り降り、水飲対陣から一度八瀬に下る。ここから松尾坂の登り返しだ。この上りもなかなかのペースで、少し遅れて着いて行く。さすが通称「福田練」、これまでよりも少し強度が高い。

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松尾坂を登りきると、京都一周トレイル沿いに稜線を進み、横高山、水井山の激坂を越えて、大原へ抜ける。ここで僕は、あることに気が付いた。松尾坂も、横高山も激坂なのだが、一番しんどいところで、丹羽さんが話し始める。僕や福田さんに、話しかけてくる。こちらは、はあはあぜえぜえ言って、着いていくのも必死なのに、「え、ここで?」と思うようなタイミングで話しかけてくるのだ。仕方がないので(笑)、こちらも頑張って着いていきながら、話し始めるのだけど、ふと気づくと先ほどまでの苦しさを忘れている。そして、話している間にふと気づくと上りが終わっていたりする。

「あれ?これはもしや、そういう意図なのか?」と思い、丹羽さんに聞いてみると、やっぱりそうだという。しんどいところで、あえて話しかけていたのだ。そして、その効果はてきめんだった。これまで、きつい上りは、「しんどいな」「いつになったら終わるのかな」と思いながら耐え忍ぶ、という感じだったが、話していると、しんどさに頭が回らなくなり、しんどくなくなるのだ。(そんなバカな、と思うかもしれないが、まだやったことがない人はぜひ試してみて欲しい)。本当にしんどさを感じる量が減るし、ふと気づくと登りが終わっている、という感覚になる。これはすごい。結局のところ、「登りがしんどい」というのも、ある程度は頭の中で作り上げているイメージなのだろう。

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大原まで下り、そこからは焼杉山に登る。先月もMount Chopのコースをなぞろうと、一人で来た山だ。大原十名山の最後の山として残っていたので、一人で登りにきたわけだが、まさかこんなにすぐにまた来ることになるとは思わなかった。(これも矢野の法則だろうか)

焼杉山の登りも、思った以上に長い。何度もなんちゃってピークを越えて、ようやく山頂にたどり着く。そういうことならば、と、今度は僕の方から話し始めてみた。距離も後半に入り、だんだんと身体に疲れが出てくる時間帯だ。黙々と走っていると、どうしても疲れに気持ちが行ってしまう。こうなったら、話しちゃえ、と、丹羽さんとおしゃべりを始めた。

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結局ここから、翠黛山、金比羅山、瓢箪崩山、もう一度松尾坂を越えて、京都市内に戻るまで、ほとんどずっとしゃべっていた。身体は確かに疲れていたんだけど、なんだかんだと話しているうちに、京都に戻ってきてしまった。これはすごいw。ペースもまあ、そんなに遅くもなかったと思うし、2人から遅れることなく着いていくことができた。結局ずっと福田さんに先頭を引っ張ってもらい、僕は最後尾から着いていくだけだったけど、それでも足を引っ張らずには済んだ。最後は自宅まで走って帰り、この日のコースは58kmになった。

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やっぱり、だんだん長い距離に身体が慣れてきているし、これだけの距離でも丹羽さんや福田さん着いていくことができたことが自信になった。
これなら、70kmは行けそうだ。あと一回くらい長い距離を走って、本番に挑もう。

(後編につづく)