Andorra Ultra Trail Mític 112km(その2)

Míticについて、改めて紹介

改めて、Andorra Ultra TrailのMíticをご紹介すると、コースはこういう感じ。

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ほぼ、アンドラ公国を反時計回りに一周します。

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こちらがプロフィール。2943mのコマ・ペドロサ山をはじめ、2500m以上の山を8つも越え、コースの平均標高も2,048mと2,000mを越えています。
112kmで累積標高は9,700m。なかなかこの距離で、これだけ上る大会はありません。ウルトラトレイルの大会でも、屈指の山岳コース、といったところでしょうか。
もう一つ距離が長いRondaは、170kmで累積13,500mですが、「分かりやすく言うと、Rondaからなだらかな部分を取り除いたのがMíticです。」という説明を聞いて、嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ちになりました(笑)。
ということで、距離は短いですが、決して山が易しいわけではない、というのがMíticの特徴です。

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長丁場で、さすがに何かしらの見通しを立てたほうが良いだろうと考え、はじめてペース表を作ってみました。
大会が出している表に、先頭と最後尾の予想タイムが載っていたので、そこから3通り作成。

  • 1. Aプラン:先頭と最後尾のちょうど真ん中のタイムでゴール。想定ゴールタイム32時間20分。
  • 2. Sプラン:Aよりも早く進行出来た場合。先頭タイムの1.5倍。想定28時間。
  • 3. Bプラン:さらに崩れた場合。先頭の1.9倍。想定35時間。

一応目標はAプラン。うまく行けばS。でも、先述の通り、そもそも足も骨折しているし、まずは怪我の様子を見ながら無理をしないこと。そこからもしも余裕がありそうなら、少しずつ上げていこう、と思いました。

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ちょうどゼッケンの下に、プロフィールが書いてあるので、ここに目標タイムを2種類書き入れておきました。(これはすごく便利でした)

スタート(Ordino)から、Comapadrosaまで

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スタートしてすぐに、あたりは暗くなり、ヘッドライトを点灯しての走行に。
近くでスタートした石黒さんや宮崎さんは前に行ってしまったようでしたが、焦らずにのんびり走っていました。
最初は川沿いの林道を進んでいきますが、5kmほど走って左に曲がり、トレイルの上りに入ります。
足首は、多少痛みがあるものの、走れなくはない感じだったので、そのまま慎重に進みます。

最初の急登を300mほど上り、短い下りがあり、次の600mほどの上りを登っていると、上から見覚えのある格好の人が落ちてきました。宮崎さんでした。

とにかく眠い、と言うので、じゃあ喋りながら行きましょう、と声をかけつつ進みますが、それでも眠い様子。
もうちょっと面白い話でもできれば目が覚めるのかな、と思いつつ、そういう芸も持ち合わせていないので、ひとまずペースを合わせながら一緒に進みます。

周りにいる人たちは、ほとんどがスペイン語かフランス語圏の人たちばかりで、英語もあまり通じないので、会話をするにも相手がいません。真っ暗なトレイルを、日本語で話しながら進めるのはありがたかったです。

しばらく行って、標高2000mを越えたあたりから傾斜がゆるくなり、森林限界を越えて周りが開け始めます。そろそろ最初のエイドかな?と思いますが、なかなか着かない。傾斜のゆるいトレイルを淡々と進みますが、宮崎さんは依然眠そうです。次のエイドで一度眠ろうかな、などと話しています。

そうやって進んでいましたが、ふと気づいたら後ろにいた宮崎さんが姿を消していました。慌てて少し引き返してみると、軽い捻挫をしたとのこと。それは良くないことなんですが、それで目が覚めた様子で、ちょっと元気そう。まあ、結果オーライだったのかもしれません(笑)。

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15km地点の第1エイドに到着すると、すごい人。水分の補給や食べ物も取り合いになっていて、なかなか取れません。必要な水分だけ補給して、出発することに。

宮崎さんも捻挫効果か、睡眠は取らずに進む、ということなので、一緒に出発します。この時点でプランAから10分ほどの遅れ。最初から少し遅れてしまっていますが、まだまだ先は長いし、焦らないことにします。

ここからが、最初の大きな難所、コマ・ペドロサ山の上りです。標高2943mは、アンドラの最高峰。岩がごろごろ転がっていて、明確な登山道があるというよりも、適当な岩の上を辿りながら、急傾斜を登っていくような道が続きます。

どんな山かというと、こんな山。

そして山頂から降りて行くと、こんな雪渓と湖が待っています。

これ、落ちたらどうすんだ?って思いますよね(笑)。
本当にそれが心配で、この雪渓のためにスパイクまで買って持っていきました。(直前の丹羽さん情報で、スパイクは必要ない、と教えてもらったので、結局置いていきましたが)

こんな山を、深夜2時とかに上るなんて、ちょっとどうかしてますw。
どうかしてるよなー、と思っていたので、ひとまず仲間がいることと、風がほとんどなくて気温も暖かかったのがありがたかったです。

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岩ゴロゴロの斜面を登っていくと、だんだん頂上から雄叫びとバグパイプの音が聞こえてきます。
どうやら、名物のバグパイプおじさんが、こんな深夜でも山頂で吹いてくれているようです。そして、この長くてエグい上りを上りきった選手たちが、頂上で雄叫びを上げているのでしょう。なんなんですか、この大会はw。またテンションが上ってきました。(僕は幸い、今のところ全然眠くありません)

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エイドから1000mくらい標高差を上りきって山頂に到着。バクパイプおじさん、思ったより軽装備でした。
真っ暗で景色は何にも見えないですw。

後日、Rondaに出場した片岡さんに見せてもらった、コマ・ペドロサ山頂からの景色がこれ。なんですかこれ。軽く嫉妬しました。
こんな景色が見れたなんて、うらまやしいです、と話したら、「じゃあ来年はRondaですね」と言われました。うぐう。。

コマ・ペドロサ山を越えると、こんな感じのがれた山道を下っていきます。夜で道も暗いし、ゆっくり慎重に下っていくと、例の雪渓ポイントに。

昼間はこんなに綺麗なんですけどね。僕が通った時は・・・

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こんな感じw。昼間はすごい景色なんだろうな、と脳内補完しつつ走りますw。
夜道でも、かろうじて隣りに湖があるのは分かります。
心配していた雪渓の上は、滑らないように平坦にカットされていて、むしろ岩場より走りやすいくらいでした。
がれ場を慎重に下っていた宮崎さんがペースアップするので、慌ててついていきます。

しばらく下ったところで、コマ・ペドロサ小屋の第2エイドに到着。ここで21km、プランAから15分遅れくらい。
温かいスープをもらいながら、よくよく他の食べ物を見てみると、生ハムとチーズが並べてあります。さすがアンドラ、生ハムが食べ放題なのか!
口にしてみると、これがまたうまい。塩分補給にもちょうどいい、と思い、もぐもぐ生ハムとチーズを頂きます。

エイドのスタッフの方々もやさしくて、とりあえずみんなと「オラ!」と挨拶して、あれちょうだい、これちょうだい、とお願いします。
丁寧に水分を入れてくれたり、他に欲しいものはないか、と聞いてもらったりして、うれしかったです。
そんなことをしばらくやっていたら、後ろからやってきた石黒さんとも会うことが出来ました。ちょうど入れ違いで挨拶をして、また先に進みます。みんながんばってます。

(つづく)

Andorra Ultra Trail Mític 112km(その1)

Andorra Ultra Trailにエントリー

トレイルランを始めたら、誰もが憧れるウルトラトレイル。
100km以上のウルトラトレイルを、いつか完走したい!って思いますよね。

NHKで放映された、UTMB、UTMF、そしてTJAR。どれもこれも、100マイルとか、400kmとか、とんでもない距離を走り続けるレースです。「こんな距離を走り通す人がいるなんて信じられない」と最初は思うものの、少しずつ自分の距離を伸ばしていくと、「もしかして、自分にも出来るかも?」という気持ちが少しずつ増えていき、いつしか「必ず挑戦したい」という気持ちに変わっていきます。

100マイルレースに挑戦する多くの人が、そういう変遷を辿っているのではないでしょうか。
かくいう私もその一人。だから、100マイルレース、必ずどこかで完走したいと思っています。

でもその前に、まずは100kmくらいのレースに挑戦しよう。
そう思っていた2015年末、Andorra Ultra TrailのMíticに、ポイントを持っていなくてもエントリーできることを知りました。
しばらく迷ったあと、思い切ってエントリー。

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出典:DogsorCaravan

ちょうど、山本健一さんが挑戦したアンドラの映像を見て、「こんなところを走ってみたい」と思っていたこともあり、えいや!、と2016年大会にエントリーしてみました。

しかし、7月が近づくにつれ、足の痛みがひどくなり、最後は疲労骨折。2ヶ月ほど走れない状態が続き、アンドラ行きも夢と消えました。憧れが強かった分、走れない時期は辛かったです。
まだウルトラは、自分には早すぎたんだ、と思いました。

それから1年。今年こそ、どこかで100km越えのレースに挑戦したい、という気持ちはあったものの、なんとなく昨年ほどの気合いも入らずにシーズンが近付いていました。どこかで、「自分にはまだ難しいのではないか」と、自信をなくしていたようにも思います。

そんな時に、丹羽薫さんが、三重県まで100km走るトレーニングに誘ってくれました。当初は、70kmくらいでリタイアしよう、と思って臨みましたが、丹羽さんたちの励ましもあり、100km完走することができました。

これが自信になりました。できる。できると思えば、できる。そろそろ挑戦しても良いのかも。
単純に100km走れただけじゃなくて、丹羽さんに誘われた気がしました。そろそろ100km超えの世界においでよ、と。

同じ職場の二宮さんは、サンディエゴの100マイルに挑戦すると言い始めました。これも刺激になりました。
そうか、いよいよ二宮さんも100マイルか。僕もそろそろじゃないかな。

丹羽さんと100km走った数日後に、Andorra Ultra Trailのツアーを主催している久保さんに、「まだ間に合いますか?」と問合せしていました。
そうしたら、「Míticのエントリーはラストの枠。スタート地点横の宿舎も最後の部屋が空いている」とのこと。本当にギリギリのタイミングで、エントリーすることができました。これも何かの運命だと感じました。

1年前に怪我で断念したアンドラに、今度こそ体調を整えて挑むことにしました。

トレーニング!そして・・・

出ると決めたからには、距離を走り込まないといけません。
週末に走るトレイルの距離を徐々に伸ばし、40-50kmを走ることも増やしていきました。丹羽さんにも何度か連れて行ってもらいました。
三河70kmを完走し、レースの過去最高距離を更新。
比叡山50kmでもベストを30分ほど更新。
滋賀県一周トレイルで、1週間以上走り続け、ストックを使って山を登ることにも慣れていきました。

順調に身体を鍛えてきて、6月中旬、仕上げの南アルプス合宿に参加しました。
丹羽さんからお声がけ頂いて、八ヶ岳南アルプスで高山になれる練習をすることに。
ここで、3000m級の山に登る練習もすれば、準備としてはばっちり、と思っていました。

初日、金曜日の夜から徹夜でドライブし、八ヶ岳の麓で仮眠を取ったあと、編笠山権現岳へ。
車中で仮眠して夜を明かすのは実は初めてだったので、なかなかうまく眠れず、睡眠不足のまま八ヶ岳へ。
編笠山権現岳頂上付近でドローンを飛ばし、なんとか映像撮影もうまくいきました。

権現岳からの下り、長い長い下り道。丹羽さんを先頭に、前を行く3人を追いかけて下っていくのですが、ここでだんだん集中力が切れてきました。車中泊、ドローンといろいろあって、疲れが出てきたのかも知れません。
意識がぼんやりしていたところで、変なつまづき方をして軽くこけてしまいました。

「いてっ」という感じで尻餅をつきましたが、まあ、そこまでおかしなこけ方をしたとも思わなかったので、すぐに立ち上がって走り始めました。

後ろから追いついてきた久保さんが、「大丈夫ですか?」「テーピングしますか?」と心配して声をかけてくれますが、「大丈夫です」と言ってついていきました。

ところが、どうも左足のかかとに痛みがあって、足を伸ばすと痛みます。どうにもスピードが出ません。
「おかしいな?」と思いながらも、しばらく走っていれば治るだろう、と思ってそのまま一番下まで下りますが、その後もうまくついていけません。
皆さんを待たせてしまい、丹羽さんからは、「やめておいたほうが良いですよ」と言われ、そこで合宿を降りました。
2日間走るつもりで参加したのですが、結局1日目の途中で離脱。2日目も足が腫れて走ることはできず。

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京都に戻って大槻さんに診てもらったら、かかとの骨が骨折していました。
まさか。。。
ヒビが入った骨が写ったMRIの写真を見ながら、途方に暮れました。また去年の二の舞になるの???

骨折した骨は、普通の人には無い骨でした。
僕のかかとは、少年時代(おそらく中学陸上部時代)に剥離骨折をしたらしく、普通は存在しない骨の塊が存在しています。
この骨が、上下の骨に挟まれて骨折したとのこと。
だから、昨年の大腿骨のように、折れたらどうしようもない、という骨ではないのですが、骨折は骨折。
「普通に考えたら、痛みが引くまでには2ヶ月はかかるでしょう。たとえ歩けたとしても、アンドラのように激しい道のりだと、どうしても痛みが出る角度に足首を曲げると思うから、出場はかなり厳しいと思います」と大槻さん。

終わった。。。

なんかもう、悲しいとか悔しいとか通り越して、ぼーっとしてしまいました。
「へえ。そうなんだ。」みたいな。
その辺は、前回よりは落ち着いていました。

そこから、あまり骨折のことを考えずに、なるべく普通に生活していました。
なんとなく、普通に生活していたら、普通に歩けるようになるんじゃないか、という気もして。
というか、考えても骨が治るわけじゃないし。
普通に朝起きて、普通に階段を下り、普通に歩いて会社に行く。
そういう日常の行為を淡々と続けていました。
そうしたら、段々そういう日常の行為が順番にできるようになっていきました。

思いの外、回復が早く、歩けるようになってきたので、「これはもしかすると、行ける可能性もあるんじゃないか」と思いました。
本来は、海外ツアーのチケットをキャンセルするのであれば、早めにキャンセルしないといけなかったのですが、しなかった。
今回ばかりは、行けるはずだ、とどこかで思いたい自分がいました。

まずは自転車でトレーニングを再開して、骨折1週間後に、100km以上走れるようになりました。
骨折から10日後に、恐る恐る平地をランニング。9km走れました。
12日後には、トレイルを12kmランニング。少し違和感はありますが、トレイルも走れました。
骨折から15日後、一か八か、比叡山でトレーニング。長い上りを3回ほど登り、36km走れました。本当はトレーニングをせずに、回復に専念したほうが良いのかもしれませんが、ゆっくり歩きながら上って、これだけ登れたら、当日自信を持ってスタートラインに立てると思った。1回だけ、それを確認しておきたかった。そうしたら登れた。いける。これはいける。

アンドラの厳しい道程を、110kmも走ったら、途中で足がどうなるかは分かりませんが、少なくとも最初から棄権するほどではない。少なくともスタートラインには立って、行けるところまで行ってみよう。

そう決めて、アンドラ行きの飛行機に乗りました。
最後に比叡山を走ったのは、本番の6日前でした。(ちょっと直前過ぎたかもしれません)

アンドラ入り

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アンドラというのはここ。スペインとフランスの国境、ピレネー山脈の中にある、「アンドラ公国」という小さい独立国です。468km2しか面積がなく、金沢市と同じくらいらしいです。バルセロナからバスで4時間くらいでたどり着きます。

今回のアンドラは、フィールズオンアースのツアーで参加しました。
初めての海外レースで、勝手が分からないので、最初はツアーの方が安心だと思いましたし、丹羽さんがツアーに参加されていることも大きかったです。

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関空から香港に飛び、バルセロナ行きの飛行機に乗り換え。ここで関東から来ているメンバーとも合流し、バルセロナへ。
バルセロナに着くと、久保さんが迎えてくれて、1日市内観光。念願のサグラダ・ファミリアもみれました。

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その後、軽く走りましょう、ということになって、グエル公園までジョギング。
ところがここで、足首が痛む。舗装路を走ったこともあるんでしょうけど、たった数キロ走っただけで、随分痛み、結局帰りはタクシーでホテルに引き返すことに。
本番に向けて不安が募ります。

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翌日、バスでアンドラへ。途中でモンセラットに寄りますが、もう、なるべく足を痛めないように、ということが頭にあって、恐る恐る歩いていました。

2日ほど観光したので、同じツアーのメンバーとも仲良しに。皆さんアンドラのレースに参加される方々なので、目的は同じ。わざわざ山が険しいアンドラのレースを選ぶ、という時点で、何かしら同じ趣向を持っているわけで、面白い方が多くて楽しいです。ツアー旅行なんて参加したことなかったですけど、こういうのは良いなと思いました。

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アンドラについてみると、街が大会一色になっています。スタート・ゴール地点は大会一色になっていて、まわりには山が好きそうな人がうじゃうじゃ。音楽が鳴り響き、すごい歓迎ムードです。

街をあげて歓迎してもらえる、というだけで、うれしくなります。やばい、楽しい。どんどんテンションが上がっていきました。

受付を済ませて、宿舎で一泊。
翌朝一番に、170kmのRondaがスタート。丹羽さんや、片岡さんがスタートしていきます。
雰囲気が、もう、最高です。太鼓と音楽の演奏があるわ、花火は上がるわ、どでかい人形(?)が出てくるわ。
見ているだけで、興奮してきました。

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朝7時にRondaがスタート。

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ここから15時間後の22時(夜の10時ですよ!)に、僕が出場するMíticがスタート予定です。
そこから二晩夜通しで走ることになるので、とにかくこの日は部屋で寝ようと思いました。
Rondaを見送ったあと、朝ごはんを食べて、自分の部屋へ。
レースの用意を整えて、ベッドにもぐりこみ、寝ようとしますが、なかなか眠れません。
眠っているような、起きているような感じで、ごろごろしていましたが、昼過ぎにどうにもこうにも眠っていられなくなり、再び装備の準備。

ウェアの組み合わせをいろいろ考えているうちに、今回の参加賞のウェアがなかなか具合が良いことに気づき、その格好で出場することにしました。ただし、パンツの色が合わない。紺色のパンツを持ってきていたのですが、参加賞シャツは黒赤だったので、近くのアウトドアショップに黒いパンツを買いに行ったりとか、そんなことをやっているうちに、夕方に。

今回は、ドロップバックを預けるのもはじめて。44km地点と、77km地点に送ってもらう荷物を準備するのですが、こちらも勝手がよく分からないので、ジェルや着替え、予備の充電池と、ものすごく寒くなった場合のために温かい長袖長ズボンを詰め込んで預けました。

夕食をホテルでツアーメンバーと取ると、あとはもう、スタートを待つだけ。さすがにみなさん、緊張感が出てきています。
夜9時過ぎ、スタート地点にMíticに出場する選手が少しずつ集まってきました。僕も早めにスタートエリアに入って、座って待ちます。
同じくMíticに出場する宮崎さんや石黒さんと記念撮影。

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太鼓の演奏が始まって、でかい人形が出てきて、花火が上がって、いよいよMíticもスタート。
ここから、112kmの長い長い旅が始まりました。

(つづく)